盛り場放浪記

花街を歩くことが楽しみな会社員による、酒とアートをめぐる冒険奇譚。

春琴抄コミカライズ作品『ホーキーベカコン』(作:笹倉綾人)を読む

秘め事やスキャンダラスな事件はいつの世も私たちの好奇心を刺激する。秘められた内実を明らかにしようと、不可解な出来事を読み解くためのわかりやすいストーリーをつくることもある。

文学や芸術は、ときに理解しがたいものや不条理なものをつくりだすことができる。回答の存在しない問いを提示し、私たちに混乱や恐怖や疑問をもたらす。理解できないものとは、「ひとの心」。他人の頭のなかを覗き、見たことのない世界が見たい。

前置きはここまで。ここからは本題について。

谷崎潤一郎の小説はストーリーがわかりやすい割に登場人物の心が複雑怪奇で、共感が容易ではない。特に『春琴抄』『痴人の愛』『卍』のような痴情のもつれを描いた作品は、およそ常人には理解しがたいマゾヒズムと過剰なほどの女性賛美にあふれている。中でも一等好奇を刺激するミステリアスな作品が『春琴抄』で、作品から受ける印象や解釈がひとによって異なるように思う。それほど、盲目の三味線奏者「春琴」と彼女に心酔して仕える「佐助」の関係性が異様で、閉鎖的だからである。秘すれば花なり秘せずは花なるべからず――しかし、秘密があれば暴きたくなるのが人間の性。

電撃G’sコミックにて2018年1月号より連載中の漫画作品『ホーキーベカコン』(作:笹倉綾人)は、数々の先人が取り組んできた「春琴抄」を意欲的に解釈し、男女の仄昏い関係や欲望を漫画表現として描くべく、いろいろなチャレンジが見られて面白い。

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絢爛豪華な表紙が目を引く。1巻の装丁と色使いは新潮社版『春琴抄』を彷彿とさせる。
ホーキーベカコン1

ホーキーベカコン1

 
ホーキーベカコン2

ホーキーベカコン2

 

作者の笹倉さんは、これまではライトノベル原作のコミカライズを中心に活動されてきたようだけれど、純文学のコミカライズにも向いていると思う。若い世代が親しみやすい当世風の絵柄なのに、しっかりとした時代考証と精緻な背景画のもとに物語が展開するので、嘘くさくなく、ちぐはぐ感がない。成人向け漫画の経験もあるようなので、適度にお色気描写を入れるサービス精神もある。余談だが笹倉さんがこれまでコミカライズを手がけた『灼眼のシャナ』や『アクセル・ワールド』は私世代(1990年前後の生まれ)で流行した作品なので、そういった有名作品の絵を描いていた方が、『春琴抄』という大作に挑んでいるのはすごいと思う。オタク的には応援したい。

いくつか感想。

①春琴のキャラクター造形はロリータ・コンプレックス垂涎。

春琴抄』は谷崎作品の中でも断トツに映像化・舞台化数が多い。その理由は春琴の類い稀なる美貌と、見た目に反したサディスティックな性格とのギャップが魅力的だからだと思う。だから数多の映画人や演劇人が殊更こだわったのは春琴のキャスティングだろう。(原作でも、春琴に比べると他の登場人物の外見描写はほとんどなく、いかに谷崎が春琴の描写に心血を注いだかがわかる)原作によると、春琴とは下記のような女性らしい。

「当時は婦人の身長が一体に低かったようであるが彼女も身の丈が五尺に充たず顔や手足の道具が非常に小作りで繊細を極めていたという。今日伝わっている春琴女が三十七歳の時の写真というものを見るのに、輪郭の整った瓜実顔に、一つ一つ可愛指で摘つまみ上げたような小柄な今にも消えてなくなりそうな柔らかな目鼻がついている。(中略)朦朧とした写真では大阪の富裕な町家の婦人らしい気品を認められる以外に、うつくしいけれどもこれという個性の閃めきがなく印象の稀薄きはくな感じがする。年恰好も三十七歳といえばそうも見えまた二十七八歳のようにも見えなくはない。」

27歳に見える37歳、うらやましい限り。小説だけを読むと、案外スッキリとした儚げな顔立ちをしていそうだなと思う。当時の美人の条件というのもあると思うが。私がいいなと思う春琴像は、映画『春琴物語』(1954年、制作:大映、監督:伊藤大輔)の京マチ子

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『春琴物語』で春琴を演じる京マチ子。大きな眼と意志の強そうな眉、女性らしい丸顔、しっかりと栄養がいきとどいてそうな豊満な肉体が魅力的な彼女。目をつぶった姿は菩薩のようで、手を合わせたくなるありがたさ。

子ども時代はともかく、成長した後の物語は女性美が見所。京マチ子は『痴人の愛』などでもファム・ファタルを演じていただけれど、彼女ほど谷崎作品にハマる女優はいない。大の男がひざまずきたくなるくらい美しい女性、ぴったり。

対して『ホーキーベカコン』の春琴は、子ども時代と成人後の姿が見分けづらいほどロリータ。成長が止まってしまったのかと思うほど幼い見た目。連載雑誌のカラーもあるのだろうか。

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幼少期の春琴。

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成長した春琴。三十路超え。

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春琴37歳。すごくきれいなんですが、熟女の色っぽさをもう一声ほしい。

見た目がロリータな37歳熟女が超サディスティック!というアンバランスさ萌えも分からなくもないけれど、私は年相応に成熟した大人の女性が放つ匂い立つ官能にそそられる。(今はそうでもないけれど、谷崎時代の37歳って「中年女性」の域で、旬をとっくに過ぎた女性扱いされていそう)しかし笹倉さんの描くロリータ少女は実に可愛らしく、作者のフェティシズムを感じさせる。書いてて気づいたけれど、なるほど、谷崎のフェティシズムに自分のフェティシズムをぶつけたのか。うん、ロリ熟女、需要はあると思う。安達祐実さんとかYUKIさんとか人気だし。私の一押しは百瀬れなさん。超人気ストリッパーです。ぜひ教えてあげたい。

 

②美しくないものを描くかどうか。

笹草さんの漫画は線が細く柔らかく、美しい。春琴のような美しい女性や絢爛豪華な衣装や小道具を描くのにはぴったり。しかし果たして、春琴に欲情する脂ぎった中年オヤジ、醜くただれた春琴の火傷跡のような美しくないものを描けるのか。その点、漫画では苦労していそうな気がする。男性陣もみんなきれいだし。

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どうせならもっとゲスくキモく男性陣を描いてもいいと思う。

「掃き溜めに鶴」じゃないけれど、きれいなものだけを描くより、醜いもののなかで光る美しいものを描くほうが美が際立つように思うし、美と醜は両方あってはじめて成り立つ。きれいはきたない、きたないはきれい、シェイクスピアが言うように美と醜は表裏一体。

その点、敬愛するイラストレーター吉岡里奈さんは進んで汚いオヤジを描く。いつだが、「きれいな女性より汚いオヤジ描くほうが楽しい」と言っていたけれど、何か彼女にそこまでオヤジを描かせるのかはわからない。

rina-yoshioka.jimdo.com

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吉岡ちゃんの描くエエ顔したオヤジたち。

③女性が描く谷崎ワールドは、男性がミステリアス。

谷崎は女性性を崇拝していたきらいがあり、多くの作品でミステリアスな女性と、彼女に追従する男性を描いた。正体のつかめない神秘的な存在として女性を理想化していたのか、そんな女いないよと突っ込みたくなるくらいリアリティがないキャラクターが多い。対して男性像は自分を投影していたのかやたらリアル(しょうもないことでくよくよしたり、プライド高かったり)。

笹倉さんはWikipediaによると女性。今どき性差でどうのこうの言うつもりはないけれど、女性が描く春琴は谷崎ほど神格化されていない気がする。むしろ春琴を取り巻く男性陣(佐助を筆頭にして)のほうがミステリアス。春琴は生身の女性としての欲や汚れや俗っぽさも持つように描かれている。メシも食うし排泄もするし、結構現実的。対して、春琴に人生を捧げる佐助どんの方が、なんでそこまで仕えるのよ~と笑っちゃうくらい一途。佐助の心のうちがまったく読めないあたり、感情むき出しの春琴よりも佐助のほうが怖い。佐助にスポットライトを当てるあたりは、谷崎原作とは異なる解釈ができて面白い。

 

④背景画が上手すぎる。

薬種問屋が並ぶ道修町通りや、春琴の実家の薬問屋「鵙屋」の建築など、舞台美術が作り込まれていて、作品としての深さや力が段違い。笹倉さんって、ここまで描ける作家さんなんだ!?と一番驚いた部分でもあります。可愛い女の子だけならイラストレーターも描けるけれど、話をつくって二次元の紙の上で動かせるのは漫画家だけ。各話の合間のおまけページで建物の見取り図が掲載されていたりして、気合いが入った作品だということがよく分かる。プロに監修頼んでいるのかもしれない。

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漫画作品における背景美術ってすごく重要で、どれだけその世界観にのめり込めるかを左右すると思う。

もしかしたら『ホーキーベカコン』を読んで春琴抄に興味を持って、原作を買い求めるひともいるかもしれないと思った。 春琴抄自体は源氏物語のように国語や古典の受験問題になることはほぼないだろうから、受験漫画としては用途がないんだけど、名作文学に親しみを持つのはいいと思う。谷崎潤一郎ノーベル文学賞受賞候補だったし、若い人にもっと読んでほしい。

江戸川乱歩あたりの文学作品再評価の動きもあるし、『ホーキーベカコン』アニメ化してほしいな~。漫画で唯一残念なのが琴の音色が聞こえないことなので、耽美な映像美と音楽が合わされば、もっと素敵な作品世界が広がると思う。

漫画は次巻でいよいよ最終巻。衝撃のラストをどう描くか、笹倉さんならではの春琴抄を期待しています。