盛り場放浪記

花街を歩くことが楽しみな会社員による、酒とアートをめぐる冒険奇譚。

神保町シアターで永井荷風原作の映画「裸体」を観る

このところシネコンはご無沙汰で、映画を観るためには名画座にしか足を運んでいない。007やエヴァンゲリオンの新作など楽しみだった作品が悉く上映延期してしまったので、行く理由が見出せないのだ。しかし役所広司主演の『すばらしき世界』はちょっと観たいなと思ったので、TOHOのポイント消化のために行こうと思う。鑑賞した方から「葛飾区による、葛飾区のための映画だった」という面白い感想を得たし。

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そんなわけで、絶大な信頼を寄せる神保町シアターの「生誕135年 谷崎潤一郎 谷崎・三島・荷風―耽美と背徳の文芸映画」特集で『裸体』を観ました。

「映画と餃子の会」の課題映画として選んだのですが、「『裸体』観ませんか」という誘い文句に「『裸体』観たいッ!」と返してくれるオジキの懐の深さよ。

『裸体』(1962年)原作:永井荷風、監督:成沢昌茂、出演:瑳峨三智子、川津祐介千秋実杉浦直樹長門裕之山田五十鈴

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公開当時のポスターですって。「暖房完備」という惹句が泣かせます。シュミーズに透ける裸体、当時はセンセーショナルだったのでは。画像はネットの拾いもの。

オープニングでぶったまげたのは、音楽が武満徹と岩佐譲治のダブルスタッフということ。豪華すぎる。途中でバトンタッチしたのかな。

主演は、山田五十鈴の娘・瑳峨三智子。なんと親子共演です。嵯峨は、肉体を武器に生きる若い女の逞しさ・したたかさ・愚かさを好演。

ストーリーはこんな感じ。

船橋ボーリングセンター付近の船着場で、女給と三助の間に生まれた主人公(嵯峨)。番頭や釜場の掃除をしながら漁師の男たちに肉体を値踏みされる生活に飽き飽きし、銀座の税理士事務所に勤め始めた。しかし、その社長・千秋実と連れ込み宿で関係を持ち、妾となる。

社長を「パパ」と呼び、猫なで声でおねだりをする嵯峨は、男を手玉に取る悪女の才能を開花し始めた。煌びやかなファッションや高価なジュエリーに囲まれ、アパートでの文化的な暮らしにもうんざりしてきた頃、社長が横領で逮捕され、急転直下、無一文に。家賃を払うため、通っていたバレエ教室の講師の伝手で、秘密の売春クラブのバイトを始め、彼女を気に入った大物政治家と一夜の契りを交わす。得た大金で豪快に遊び回る嵯峨。一晩中酷使した肉体を洗い流すため行った銭湯で故郷を思うも、Uターン帰省する気にもなれず、東京でのモダン生活を引き続き謳歌する。

そんな中、売春クラブで出会ったストリッパーの舞台を新宿「人世座」(原作では浅草ロック座)で観て、感銘を受ける。鼻の下を伸ばした男たちで満員の場内で、肉体をさらしながら歌い踊り、光り輝く踊り子。観劇を通じて「男は可愛い馬鹿野郎だよ」「男は女の肉体が好き」「自分の肉体は芸術的」という確信を得、立ちんぼが並ぶ夜の街で、学生風の若い男を逆ナンパ。売春クラブで政治家に言われた口説き文句「君はエネルギーに溢れてる。君のエネルギーで僕のロケットは打ちあがる」を使うも、あっけなく振られ、ひとり夜の街に戻される。厚く口紅を塗り直し、終演。

改めて書くと結構悲惨なんですが、映画自体は明るくコメディちっく。朝ドラにも出演した浪花千栄子の入浴&お色気シーン、嵯峨のマテリアル・ガールっぷり、女性たちの健康的な腕下・腋毛(当時は官能的だったんだと思う)、すけべなオヤジたちの哀愁などが入り混じり、自然と笑いを誘う。テンポはゆったりめで、情緒ある演出…ともすれば冗長になりがちなんだけど、落ち着いたカメラワークと本編を邪魔しない程度にムードある音楽のおかげで、見応えバッチリ。原作・永井荷風へのリスペクトを十分に感じさせる作品に仕上がっています。

嵯峨演じる主人公は、天性の(魔性の)肉体と、天真爛漫な性格、貞操観念が欠落した進歩的価値観、過去を顧みない若さによって、裸一貫、コンクリート・ジャングルを生き抜いている。しかし、歌や踊り、ストリップなどの芸を磨く努力をするわけではないので、どこに行っても誰に抱かれても長続きしない。若さと処女性が失われた途端に破綻するだろうなァという予感ぷんぷんです。現代のパパ活とやってること変わらないね。しっかし、永井荷風は、こういう女性の悪魔的魅力も、それに翻弄される男性の下心も、それらを掌握して稼ぐネタにする大人たちのずる賢さも、冷静に観察して克明に描写するので怖いくらい。根底に「弱き者への愛情」を感じられるし、根本的に女好きなので憎めない作家なんですが、全部見抜いて書いちゃうような容赦ない厳しさも持ち合わせていると思う。女性を理想化して神格化する谷崎潤一郎とは違うスタンスだなと思うわけですよ。

タイトルが「裸体」ってのも意味深。「裸(Naked)」と「裸体(Nude)」は全く違うってことを大学院の美術史ゼミで習ったことをおもいだした。「裸」は単に服を脱いだ状態を指す言葉で、「裸体」は美的に鑑賞する対象という話だった。となると、本作の主人公は船橋の野暮ったい田舎娘として描かれた当初は、自分の肉体を単なる「裸」としてしか見ていなかったけれど、都会の荒波に揉まれて他者に価値付けされることによって、値段の付く「裸体」を手に入れたという解釈も出来得るのではないか。ストリップに感銘を受けるシーンなんてまさにそうだ。すると、逆ナンして男を買おうとするラストシーンは、自分が男性たちにされたことのアンチテーゼとして男性の裸をも裸体として支配しようとする意図があったのではないか。結果的に、この時代には先進的すぎた発想だったのか失敗に終わっているものの、もし現代にリメイクされることがあれば逆ナン成功してお持ち帰りできていたよねとも思えます。

嵯峨美智子の出演作品はあまり観ていないけれど、改めてWIKIPEDIAを観たら映画並みに壮絶だった。彼女は、金銭トラブルや薬物中毒など度々トラブルを起こし、芸能界復帰と失踪を何度も繰り返したとのこと。瀬戸内晴美の小説『女優』のモデルらしいので、読んでみようかな。あと声が可愛かった。

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鑑賞後、餃子を食べながら感想を述べあう時間もまた楽しい。映画を観て、映画を語って二度美味しいのですよ。神保町シアター正面の町中華「天鴻餃子房」が毎度お馴染みなんですが、ついに店員さんに覚えられ「いつもありがとうございます」と言われるようになった。

自粛生活&Amazonプライムのおかげで週5本くらい映画を観ているけれど、近現代の映画を観るのは劇場に限る、と思う。暗闇に包まれた場内で、映画という光を追う匿名観客の一人になることができる快楽。映画を観るためだけに使う集中力、スクリーンに没入できた時の感動は自宅では味わえない。隣のおばちゃんがクスっと笑うリアクション、音を立てないように飲む水の味も乙である。なんというか、作品と真剣勝負できる気がするんだよね。せっかく映画会社や役者、スタッフたちが一所懸命作って現代まで遺してくれたんだから、こちらもそれ相応の覚悟と姿勢でもって臨みたい。ということで、頑張って営業を続けてくれる名画座・インディペンデントの映画館にもっと行きましょう。心地よい文化空間をこれ以上無くしちゃいけないのですよ。