盛り場放浪記

花街を歩くことが楽しみな会社員による、酒とアートをめぐる冒険奇譚。

春の夜に想う「あの日」のこと

丘の中腹、人っこひとりいない住宅街をずんずん歩く。いい感じにお酒が回った身体がじわり汗ばむ。昼間は初夏を感じる陽気だった。21時過ぎでも気温は下がり過ぎず、風もない夜。マスクをずらして胸いっぱいに空気を吸い込むと、鼻腔に甘い匂いが漂う。春の夜の匂いだ。土と緑と、薄い桃色の花々の香り。もうここまで来ていたんだね、春。

長居していた冬の気配が無くなる心細さとそわそわ感。お帰り三角また来て四角。脳裏に蘇るのは大学新入生時代の真っ暗な帰り道。灯りの乏しい森の中、毎晩の新入生歓迎会の宴を終えてえっさほいさ自転車漕いで宿舎まで帰った。春の植物は夜に濃密な存在感を漂わせる。満開の梅、早咲きの桜、圧倒の白木蓮ボッティチェリが描いた「プリマヴェーラ」の絵を連想させる。本物を観に、ウフィツィ美術館へ足を運んだのは、忘れもしない11年前の春だった。

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2011年3月頭から中旬にかけて、私はイタリアを歩いていた。2011年3月11日はフィレンツェの教会を巡っていたのではなかったか。あの日も今日と同じ金曜日だった。ベルニーニの素晴らしい彫刻たちは教会や美術館の建築と渾然一体となっているので、今後も来日することはないだろう、そんなことを考えていた気がする。

「あの日」どこで何をしていたか、互いのエピソードを語りあう機会がたまに訪れる。日本人なら、特に東日本在住の成人の多くは、帰宅困難者となったり呆然とテレビやラジオの情報をひたすら受信していたそうだ。帰国は3月14日頃だった。ローマの空港から成田空港までの移動にかけて、日本国内で何が起こったか断片的に情報が入ってきた。欠落してしまった数日間の共通体験を、誰かの言葉を通して想像した。

成田空港から自宅のあるつくばまでは直通のバスが変わらずに出ていた。帰国数日後は電車やバスの運行が滞ったので、今思うと本当にギリギリのタイミングだった。昔から悪運が強い。バスの車窓から見た街は静かだった。

自宅に帰り、部屋のドアを開けた。覚悟はしていたが中々の惨状が広がっている。本棚の本が部屋の対角線にかけて散らばっていた。割れたガラス、落ちたカレンダー、傾いたテレビ、居場所を失ったモノたち。

命を失う時は、こんな風に、本人が気づかないうちに物事が終わっていくんだろうと思った。結果としての事象だけがこの世に残る。お葬式が遺された人たちのために存在するように。

 

コートを脱ぐのも忘れてテレビをつけてしばし呆然と佇んでいると、知り合いが部屋に入ってきた。数ヶ月前に別れた元恋人で、当時は友達に戻っていた。私が今日帰国だと知っていて、状況を報告しがてら救助しに、流山から電車に乗ってわざわざつくばに足を運んでくれたのだ。とても驚いた。

「どうせ携帯も見ないだろうから」と前連絡もなかった。とりあえず日本のご飯を食え、とコンビニのおにぎりとお茶をもらった。胃に何か入れると急速に落ち着いた。食べるという行為は未来のための行動だなと思った。困った時ほどちゃんと食事を摂ることが大切だな、それと孤立しない・させないことが大事、これは人生の指針としよう…それさえ守ればどんな時も生きていける気がする、そんなことを考えていた。持つべきものは出来た友人。自分の人生に何か価値があるとすれば、結局のところ人との繋がりなんだろうな。

 

そして、11年後の春の夜。この夜。夜中にふと目覚めると私は布団の隅に追いやられており、隣に枕大の猫が寝ていた。その猫を枕に、ひと回り小さい猫も寝ていた。LサイズとMサイズの生命がすやすや寝ている。罪のない光景に愛しさが込み上げる。生類やさしみの令を発令したい。

何気ない日常が一番大切で、これといった問題のない健康は何物にも代え難い。風邪で鼻が詰まった時に今まで呼吸をしてきたことを実感するように、歳を数えた時に肉体に積み重なった歴史を想うように、大好きだった人を忘れた後に思い出すように。すべては喪ってから気づくのだ。

 

私たちの歴史を変えるもの、それは戦争と災害と病。その全てが降り掛かっている現世のグロテスクさに時折クラクラする。いつの世も平和がいちばん尊くって有難い。せめて自分の心の中だけでもラブ・アンド・ピースであろう。今できることを一所懸命にやるしかないね。いのちだいじに、ひとにやさしく。

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