真夏の彫刻まつり~東京ステーションギャラリー「藤戸竹喜展」おすすめです!
最近観た展示はどれも大当たりだった。六本木ミッドタウン「北斎づくし」、サントリー美術館「ざわつく日本美術」、2121DESIGN SIGHT「ルール展」など、企画構成者の妙に唸る展示ばかりだった。どれひとつとっても語りたくなる出色な催し。
緊急事態宣言をものともせず、開館し続けてくれる文化施設には感謝しかない。そんな企画展が豊作な夏、二回目の「特別な夏」、最も心を打ったのはこちら。東京ステーションギャラリーで開催中の「木彫り熊の申し子 藤戸竹喜 アイヌであればこそ」。
スミマセン、勉強不足ゆえ藤戸竹喜さんのお名前を今回初めて知りました。なんでも、12歳の頃から熊彫りを始めた、アイヌ民族ルーツの彫刻家だそう。ばかばか。今まで知らなかったことを後悔するくらい、感動した。
「熊の彫刻?ああ、昭和の人、北海道のお土産で貰ったよね~実家の玄関に置いていたw」なんて人も多そうだけど、もう、全然レベルが違うので。お土産の熊は、私的にはキッチュで好きだけど。鮭持ってる子でお願いします。
藤戸さんの作品がどんなに精巧で迫力があるか伝えたい。展示室内写真NGなので、拾いものの写真を載せます。
館内風景は上のサイトが見やすいです。《樹霊観音像》はぜひステーションギャラリーとっておきのあの空間で。
藤戸さんは制作にあたって一切デッサンすることがなかったそう。丸太に簡単な目印を入れるだけで、あとは一気に形を彫り出していく。それはあたかも木の中に潜んでいる形が予め見えていて、それをただ取り出してやっているだけ、というかのよう。実際の制作風景を撮影した映像も上映していて、迷い無くチェーンソーで削り出していく神業を目の当たりにした。その手塚治虫「火の鳥・鳳凰編」に登場した隻眼隻腕の彫刻家・我王のような天賦の才だった。ご本人は熊みたいな、笑顔の素敵なおじちゃんだった。
間近で見ると驚かされるのが、毛彫の緻密さ。息を吹きかければ毛並みが動くのではないか、と思うほどの柔らかな質感が表現されている。ケース無しで展示されている事もあり、繊細な仕上げを堪能できた。
彫刻の展示は、まだまだオンラインや図録で追体験することができない。リアルな場所でモノと対峙しないと何も伝えられない。だからこそ今開催する意味があると思った。照明や配置も絶妙で、ステーションギャラリーの雰囲気ともよく合っていた。
今のひとつ前の展示「コレクター福富太郎の眼 昭和のキャバレー王が愛した絵画」(2021年良かった展示暫定トップ)も最高だったし、次回の「小早川秋聲 旅する画家の鎮魂歌」も絶対好きなんだけど、ここ数年のステーションギャラリーの外れの無さはガチってる。中の人たちの才能が怖い。
展示を見始めて「あーーこれはやばい、良良良の良(よよよのよ)」と身震いして、先に進んで見終えてしまうことが残念に思えて、永遠にこの場に留まっていたいと思えること、年に何回もないけれど、私はそういう瞬間のために全国の企画展を十年以上追いかけているんだろうな。
この展覧会も、そういう展示だった。のっけから脳天にガツンと来て、中盤は木肌をなぞる眼が幸せすぎてどうにかなりそうだったし、終盤の連作《狼と少年の物語》には思わず涙した。その後、藤戸さんと奥さんのエピソードを知って涙が止まらなくなった。見終えて、家族友人らに「良かったから行ってほしい!」と即LINEした。もう一度行きたいな…。具象彫刻ばんざい!特に動物の彫刻は大好きだ!
数日おいて、イサム・ノグチ展の最終日にかけこんだ。東京都美術館「イサム・ノグチ 発見の道」。や、美術史学徒(しかも専門は近現代)からするとね、「え、今さらイサム・ノグチですか?何年か前に大きめの個展あちこちでやってたよね」という偏見がありました。「ウ~ン、インスタ映えが好きな今の若い子にあの世界観が受けるかな(笑)」とすら思っていた。だからこそ、ミュージアムファンの禁じ手とされるブロックバスター展最終日駆け込みという愚行を犯してしまったのです。ごめんなさい。でもめっちゃ良かったです。
私、《あかり》シリーズ好きなんだけど本物は手が出ないので、学生時代はニトリで売っていたペンダントシェードを使っていました。通称・ジェネリックあかり。
前言撤回、抽象彫刻も最高!生涯を通じて「彫刻とは何か」を追求し続けたアーティスト、イサム・ノグチ。
コロナのおかげで展覧会めぐりのペースがぐっと落ち、月20件→10件くらいに減ってしまった。なんといっても地方に行けないのが痛い。テレワーク中心なので終業後に行けないのも大きい。それでも京都の楠本まき展を逃したのは悔しかった。ま、首都圏開催の展示はほぼ押さえているし、辛くも及第点か…。引き続き、貪欲にチャンスに食らいついていこう。今は横尾忠則展に行くのが何よりの楽しみです。
はじめて沖縄の器を買ってみた
やちむん。
知っている人は知っているし、知らない人は知らない言葉。平仮名のせいで可愛く聞こえちゃうし、ゆるキャラにいそうな気もしてくる。たぶん語末の「むん」のせいだ。「ち」と「ん」の中に「む」が挟まっているのも、どことなく切なげでいい。
ま、種明かしすればなんてことはない。沖縄の伝統的な工芸のことである。漢字で書けば「焼ちむん」。
聞き覚えがない、どことなくオリエンタルな響きのある地名や言葉は、結構な確率で北海道や沖縄ルーツだったりすることが多い気がするが、これはポリティカリー・ギリギリ・インコレクト発言かもしれない。先に謝罪しておく。
ともかく、横浜でやちむんを買える市が開かれることを、知人が教えてくれたので行ってきた。沖縄本島にあるセレクトショップ、mofgmona no zakka(モフモナノザッカ)が、横浜・北仲BRICK&WHITE内の「BankART KAIKO」で開催されていた。再開発によって億ションが立ち並ぶ、市内屈指のおハイソエリアだ。
余談だが、別件で訪れた時に北仲エリアの物価を知りたくてスーパー「リンコス」を偵察したところ、さすがマルエツの高級路線というラインナップで感心した。輸入ワインや酒類のチョイスが良くて重宝しそう。小市民なので「おーいお茶」88円を購入して退店しましたが。
https://www.hamakei.com/headline/11485/
んで、やちむん市はどうだったかと言うと。楽しかった!
予想より規模が大きく、人生で一番やちむんを見比べる日になった。2日目に行ったので結構な物量を観ることができたかもしれない。値段は小さいものは数百円、大き目の尺皿でも2万円ほど。意気込んで買い物する気はなかった私ですら「あら、結構お手頃なのね。丈夫そうだし日常使いにもよさそう」と色気を出してしまった。
ローカルな陶芸や民芸で、自分好みの器を的確に買い求める時のコツはなにか。 旅先のテンションで陶芸を買って、自宅で開封して何か違ったと後悔したこと、誰でも一度くらいあるんじゃないか。
北大路魯山人あたりに尋ねたら何て言うだろう。「んなモン、自分の眼で見て、欲しいと思った器を身銭切って買って、壊れるまで使い切ることだ」と説教されるかな。
民芸は好きだけど、やちむんの知識はほとんどない。博物館で何度も観ているけれど、あれは超一級品だったり、重要文化財クラスの逸品。小市民が買えるレベルのラインナップで選ぶ時の参考には、あまりならない。じゃあどうするか。ありきたりな答えだけど、店内商品を片っ端から観て、比べるしかないんじゃないかな。
闇雲に手に取ってもキリがないので、「家にあったら生活が楽しくなりそうなものを探す」ことを目的にする。食卓で欠けているジャンルの器でもいいし、いくつあっても便利な器でもいい。私の場合は、家族友人らを家に招いた時のちょっとした取り皿を探した。おかずを取り分けるのに便利そうな5寸皿を3枚くらい。
「ん、これいいな」「ほぅ、こちらも…」と観ていると、違いに気づく。例えば、中央に白い輪っかがある器と、ない器がある。輪っかは素焼きっぽくザラザラしている。店員さんに尋ねると、「それは蛇の目(じゃのめ)です」と教えてくれた。
やちむんの特徴のひとつで、窯の中でお皿や碗を重ねて、効率よく焼くための伝統的な技法だそう。器どうしが重なる、高台部分の釉薬をはがすことによって生まれるんだとか。蛇の目は、膨大な作業や労力を伴う薪窯に、少しでも多くの器を能率よく詰め込むためにうまれた、「ものづくりの知恵の輪」のようなものなのか。またひとつ、生きていくのに必要はないけれど、知っていると生きていくのが楽しくなる知識を得た。
沖縄ならではの工夫で素敵だなと思うが、実際の使い勝手としてはどうなんだろう。釉薬がかかっていないなら、素焼き部分に食べ物の汁とか洗剤とか染み込んだり、きちんと乾かさないと傷んだりしないかしら。ロマンの欠片もない発想である。いい話を聞いた流れなら「なら、蛇の目がある器にしよう!」となるはずだが…。ま、そんなもんだ。逆に考えれば、蛇の目がない器は、制作時に重ねた時一番上になった器なので、焼き上がりの数量が少なく貴重な存在とも言える。
というわけで、蛇の目がない器にターゲットを絞る。いくつかの候補で頂上決戦を行い―――選ばれたのは、工房マチヒコさんの器でした。沖縄県読谷村に工房を構えているそうです。
新しい器を手に入れた時、そこに盛り付ける最初の料理について模索する日々が始まる。新入りの器と私の物語、第1章が幕を開けるのだ。
「器」という漢字の語源は、マイ心の師匠・白川静によれば、四つの「口」は神への祈りの言葉を入れる箱だという。ならば、どんな祈りを入れようか。無病息災家内安全焼肉定食。料理は「理を料る(はかる)」と書く。沖縄からやってきたやちむんに相応しい料理とは…ゴーヤーチャンプルーやラフテーあたりで勘弁してくれないだろうか。泡盛を冷やしておかなくっちゃ。
そういえば論語の一節に「君子は器(うつわもの)ならず」とある。「器は用途が限られているが、人の上に立つ者は、決まった使い方しかできない人物であってはならない」という教えだそうだ。うーん、孔子がそう言うなら、作法はともかく色々な使い方を試してみるか。大事にしよう。我が家に来る友人たち、乞うご期待。
近況と諸行無常~夏をあきらめて
コロナ禍でライフスタイルが大きく変わったのでブログ更新停滞していましたが、ちらほら読んでくださる方がいるので、今後は備忘録的な小ネタも逐次更新するよう心掛けてみます。いつまで続くかわかりませんが!
近頃は感染予防を言い訳にストリップ劇場から足が遠のいており、地方巡業も難しいので遊郭巡りも休止中。禁酒法時代突入により酒場巡りもほとんどできていない状況です。要するに「盛り場」で盛ることがお上に封じられた暗黒期に突入しているわけですが、意外や意外、私はいたって元気です。「盛り場は心のなかにある」をモットーに自家発電にいそしむ日々を送っています。
コロナ禍のトンネルの出口はまだまだ見えない暗闇ど真ん中ですが、自分や周囲の健康と幸せを第一に、色々なものを諦めつつ、今できることを全力で楽しんで暮らせているのでどうかご安心ください。外出時は不織布のKF94マスクが、手に入りやすく、比較的楽なのでおすすめです。
コロナに対する私の考えは、批評家・東浩紀さんの意見に影響を受けました。学生時代に『存在論的、郵便的――ジャック・デリダについて』を読んで「現代日本にも天才がいるんだな」と感服したものです。『動物化するポストモダン――オタクから見た日本社会』も面白いよ。彼は、1回目の緊急事態宣言が出た2020年4月に、すでにこの境地に到達していた。あずまんは、やっぱり凄い人だと思う。
緊急事態宣言発令が決まりました。世界の感染者数はうなぎ上りで、不安を抱いているひとも多いと思います。ゲンロンカフェも3月初めから観客を入れたイベントを完全に停止しています。自粛の長期化がほぼ確定したため経営がむずかしくなっています。事態はきわめて深刻です。
— 東浩紀 Hiroki Azuma (@hazuma) 2020年4月6日
とはいえ、このような状況だからこそ、不安を拡散し、強化するような振る舞いは慎むべきだと思います。新型感染症に対して、ひとりひとりができることはきわめて限られています。三密を避ける。無駄に出歩かない。そのうえで無理なく日常を送ればよいのです。ゲンロンも粛々と無観客で放送し続けます。
— 東浩紀 Hiroki Azuma (@hazuma) 2020年4月6日
コロナの死者はいま世界で7万人ですが、人類はこの何十倍もの規模の感染症を何度も乗り越えてきました。集団免疫の獲得には人口の6-7割の感染が必要だといいます。新型感染症の致死率がかりに1%だとしたら、日本では60万人が死ぬ計算です。現代人はとてもそんな数に耐えられません。だから恐慌になる。
— 東浩紀 Hiroki Azuma (@hazuma) 2020年4月6日
でも、耐えられないとしても、結局あまりできることはないのです。ワクチンや特効薬の開発はまだ先のことだし、それで完全なわけでもない。だとすれば、ぼくたちは、自分や周囲が1%に入らないことを祈りながら、運よく残り99%になったときの責任を果たしていくほかない。社会を守っていくほかない。
— 東浩紀 Hiroki Azuma (@hazuma) 2020年4月6日
感染拡大に気をつけながら、自由で文化的な生活を守り続けましょう。災厄後は必ず来ます。恐怖に負けてはいけません。
— 東浩紀 Hiroki Azuma (@hazuma) 2020年4月6日
去年から右往左往することが何度かあったけれど、その度にこのツイートを見て立ち返ってきました。いつからか、自分なりの希望の光を見つけて厄災をやり過ごすしかないんだな、という諦念に至りました。夏目漱石で言えば「則天去私」。
この1年濃密に触れてきたものは、映画と文学と美術と演劇と音楽、大きく括ると「フィクションの力」でした。名作を見返したり、今まで嫌厭してきたジャンルに挑戦してみたり、作品と1対1で向き合う時間を作れたことで、驚くほど有意義な時間を過ごすことができたのです。もう一度アカデミックの世界に戻って研究活動をしてもいいかも、と血迷ったくらい。慶応義塾大学が社会人入学の枠を広げたのも魅力的。
新しいことを学びたいなぁ。二十歳そこそこの頃より、ちょっとは広くなった視野で学問に向き合うことができる気がする。研究したいのは、やっぱり盛り場の歴史と変遷かな。安西先生、フィールドワークがしたいです…!今年も海外に行けず終わりそうなのが心残り。いや、あと3か月あるぞ。何が起こるかわからないのが人生なのである。
ま、いいさ。今年はZAZEN BOYSとNUMBER GIRLをナマで拝めたから、これ以上のご褒美は求めすぎかもしれん。生音はズンズンビリビリ響いてきて、生きていてよかったと心から思いました。夏の供養にふさわしい、騒やか(さわやか)な演奏だった。みんな無言で入場し、マスクを付けたまま着席して微動だにせず観るライブは禁欲的だった。唯一声を発することを許された、向井秀徳だけが自由だった。
「気づいたら、俺は、なんとなく、夏だった!」by NUMBER GIRL「透明少女」
シアター上野6月頭~休館前夜、2021年ラスト興行を見届ける
当ブログでも度々紹介してきた魂のホーム劇場・シアター上野が、2021年6月11日より8ヶ月間休業することとなった。その衝撃ニュースがストリップファン界隈に駆け巡ったのは、6月7日夜のことだった。
そもそもの発端は新年度になって間もない2021年4月のこと。4月14日の昼過ぎ、シアター上野に警視庁の捜査員が入り、公然わいせつ罪容疑で関係者が現行犯逮捕された。当日の状況は各種報道や有志のnoteなどで伝えられている。
全国で数ある劇場の中でシアター上野がターゲットとなった理由やタイミングについては、東京都内がまん延防止等重点措置開始直後だったことや東京五輪を控えたナイーブな時期だったこと、新年度で警視庁の人事異動が影響したなどの憶測が流れているが、真偽は不明なので口を挟むつもりはない。重要なのは、その処罰の方だ。
逮捕された関係者は4月末までの数週間拘留され、その間劇場は休館し、釈放後すぐ5月1日から再開した。公然わいせつの刑罰は、刑法174条で「6ヶ月以下の懲役または30万円以下の罰金、拘留、科料」と定められている。今回は、8ヶ月の営業停止処分で決まったらしい。
上野では5月にも風俗店が摘発されている。ピンクサロン「マジックバナナ」でバナナを出した客と従業員が逮捕されたそうだ。こう連続して同地域でガサ入れが行われると、浄化作戦のための見せしめではないかと疑われても仕方が無い。
シアター上野の休業を知った翌日の昼、上野駅に降り立った。いてもたってもいられなかった。行政処分が確定してしまった今、ストリップ劇場の客である自分にできることは、残されたわずかな時間も客であり続けることだけだった。入場料を払って、ショーを楽しんで、劇場の収益になる活動をしたかった。
劇場に着くと、困ったような苦笑いをする従業員さんたちが迎えてくれた。検温、消毒。何を言えばいいか分からず、言葉少なに場内に入ると、平日1回目とは思えない人数が座っていた。みんな、同じ気持ちだったのかもしれない。とりあえず来るしかなかったのだ。(常連客のおじいちゃんたちはインターネットやってなさそうだから、何も知らずに来ていた可能性もある)
いつも通りに開演。1回目担当の投光さんの噛みっぷりもいつも通りだ。上野らしいマイペースさが、今はほっとする。場内を見渡すと、来週からの香盤表が撤去されずに貼り出されていた。単に撤去するのが面倒だっただけだと思うが、何となく、「敢えて撤去しない」という意思をくみ取ってしまうのは、こんな状況だからだろう。その香盤が3日後に実現することがないことはみんな分かっているけれど、この場内にいる限り、夢見ることができる。
この週は平日2回で終了することが多く、1日通して5人しか来場せず、その中でも2人しかデジを買わなかった日もあったと聞いた。それが休業が知らされた翌日にはほぼ満員に変わった。当然3回まわしだ。青天の霹靂、急転直下。かくいう私もその1人なのでゲンキンだと思うが、いつ何時も悔いの無いように、行きたい場所に足を運ばないといけないなとつくづく実感させられた。(コロナ禍、それはかなり難しいけれど)
やっぱり駆けつけてよかったと感慨にふけり、「今年はこれで見納めかな、楽日は予定が詰まっているから再訪は難しいな…残念だな」とぼんやり考えていた3回目、虹歩さんのステージをヨシダッチの投光で観た時、気が変わった。あ、これ楽日も来なきゃダメなやつだ。この人たち、まだまだ進化させる気だ。きれいに予定調和でしんみり終わらせるつもりないし、舞台があって営業できる限りは面白く楽しく足掻くつもりなのかも。そう直感した。ステージは生き物で、まだ死んでない。
そんなわけで、6月10日の千穐楽、終業後に3回目駆けつけました。コロナ前の日常を思わせる満員御礼。他の劇場でも魅力的な香盤そろい踏みなのに、上野好きの猛者たちが集まった。マスク越しでも分かる久しぶりの顔ばかりで嬉しかったな。満足におしゃべりすることもできない状況なので、コロナが収束したら全員と乾杯したい。米寿のおじいちゃんが来てて、「次は卒寿をシアター上野で祝うぞ」と意気込んでいた。いい話だ。
せっかくなので、簡単にステージの感想をば。問題があればご指摘ください。
ここだけの話ですが、場内の様子を書いている以上、当局が当ブログを見て摘発の参考にした可能性はゼロではないと思っています。ただ、文章化する際には諸々念頭に置いて表現するように当初より心がけています。ストリップ劇場が無くなってほしくないので今後も気をつけますが、一人でもストリップに興味を持つ人、劇場に行く人が増えたらいいなと思ってブログを続けています。なので、ステージの描写は、私の琴線に触れた事柄や、みんなに知ってほしい良さ・楽しさだけを伝えられるよう精進してまいります。
[シアター上野、2021年6月1日~10日の香盤](敬称略)
1.一条ダリヤ
2019年11月デビューで芦原ミュージック劇場所属の踊り子さん。お名前はたくさん拝見して評判も聞いていたのですがタイミング合わず初見でした。「瞳にキッス」「約束」を拝見。むっちむちの太ももと白く艶やかな肌、しっかり鍛えられた体幹、サラサラの黒髪、キラキラの笑顔が素敵な期待の新人さん。温泉場でガッツリしごかれたのでしょう、お客さんを楽しませようとするサービス精神と魅せ方が素晴らしく、新人らしからぬ肝の据わりっぷり。お酒が入った状態だと気持ちよくなっちゃうであろう選曲だし、オナベ中の表情がとってもエッチだし、ポーズを決めたままウインクされた日には、たとえ一見さんでも射抜かれちゃうと思います。末恐ろしいおじさんキラー。
2.鏡文杏未
観る度、女優だなと思う踊り子さんが数人いて、彼女もその一人。演目ごとに確固とした世界観・物語が構築されていて、私たちはほんの数シーンを垣間見させてもらっている感じ。この方の舞台は、展開するストーリーを想像させる余地…自由があって、物語に引き込む力がかなり強いと思う。とは言え小難しくなく、にっかつロマンポルノみたいな快活なエロなので嬉しい。あと選曲がいつも激シブで好き。和服演目で、傘や小物さばきが巧く、流れるような日舞に惚れ惚れした。前回観た時から色気が増している気がした。
3.悠木美雪
TSミュージックが誇るイケメン踊り子。今、抱かれたい踊り子ナンバーワンなのでは?びっくりするくらい小顔で手足が長いので、同じ人間とは思えない。妖精族だと思っている。もしくはフィギュア。演目は「護森人」「華詩人」「神片想イ」。足を上げるポーズを決めた時、太ももからつま先まで180°真っ直ぐなのが本当すごいと思うんだ。膝がボコッとしたり、ちょっと歪んだりするのが普通の人体なのに、どういう構造なの?トップモデル並みの美しいお身体だと思います。拝ませていただき感謝。
4.翔田真央
「コギャル」はちょっと前の渋谷にたむろしていた女子●生演目で、健康的に日焼けした彼女によく似合う。雑誌「egg」を愛読して、ラルフローレンのカーディガン着て、かがんだらパンツが見えるミニスカで、ソックタッチでルーズソックス留めて、薄汚れたぬいぐるみのついたピッチを手放さず、通学用のスクールバッグを背負っちゃう女の子。健康的にエロくて、勉強は嫌いだけど学校はちゃんと来てて、体育は得意で、他校の先輩と付き合ってる噂があって、もう処女は捨ててるっぽくて、頼んだらやらせてくれそうで、でも以外と純なところがある、隣の席の女の子。そんな感じ。(後半は妄想です)あ、もう一つの演目の立ち上がり曲が「彼女は夢で踊る」のあの曲で、広島を想起させて大変エモかったです。
5.虹歩
演目は「M●●●●」と「東●●●」。3月に23周年を迎えたベテラン踊り子のはずなのに、少女のように可憐でいつ見ても若若しい。ステージはいつも最先端で、挑戦的で、格好いい。最近ご無沙汰だったので久々に拝見したのですが、髪型が変わっていて素敵でした。ちょっとシャギー入れてアッシュな色で。
今回の虹歩さんの演目をさらに魅力的に魅せたのはヨシダッチの投光だった。舞台床面から照射するロアーホリゾントライトと、LEDピンスポットが良い仕事をした。
ホリゾントライトから照射された色とりどりの光は白いホリゾント幕の布に反射し、幕そのものを染めたように見せてくれる。晴れた日の抜けるような青空、草原の緑色、夕暮れの茜色、神々しい黄金色、官能的なピンク色。虹歩さんの激しいダンスを際立たせるのは、フォローピンスポットライト。
これは操作のキッカケが難しく、演出の内容を理解して何度も練習しないと上手くいかない。こうした照明効果によって舞台に奥行きが出て、小さな舞台のはずなのにいつもより広く見えてくる。
シアター上野は、巷では場末のストリップ劇場と思われているかもしれない。まぁそういう良さもある。でも、こんなにも複数の照明を同時に操作できて、立体感のある舞台を演出して、女性の美しさを際立たせられる空間、なかなかないと思う。
急に決まったシアター上野の休館、虹歩さんはその前週のトリを務めることになり、実質的に2021年の上野のトリを飾ることになってしまったわけで。客側も驚いたけど、踊り子さんたちはもっと驚いたし、ショックだったと思うんですよ。予想外に2021年ラスト興行となったことで、少なからずプレッシャーも感じたはずなんですよ。そのつもりで演目持ってきてないし。6月中以降の職場がひとつ減ってしまったことも痛いだろうし。
でも、踊り子さんたちはお客さんにはそんなそぶりをひとつも見せず、全力で楽しませようとしてくれた。プロだと思った。今できるステージで、最高のパフォーマンスを披露してくれた。最終日の最終回、ステージの照明が消えるその瞬間まで、惜しまずに出し切ってくれた。
躍動する肉体に負けないよう、照明と音響も全力で頑張って、クリエイティブがバチバチにぶつかって火花散ってた。お客さんも、そんな舞台をしっかり最後まで見届けようと必死に応援して、すごく良い雰囲気だった。粋だった。
すべてのステージが終了して、場内が明るくなった。虹歩さんがステージからお辞儀をして、みんなで盛大な拍手をした。その後、投光席とスタッフたちにも惜しみない拍手がおくられた。誰も席を立たず、もしかしてフィナーレするんじゃないの、ひょっとしてこのまま4回目突入するんじゃないの、って雰囲気すらあった。ヨシダッチが口火を切った。
「本日のステージ、今週の公演はこれで終了です。明日以降、シアター上野は8ヶ月休館いたしますが、再開後はまたのお越しをお待ちしています」
終わりの時間が来てしまった。けれど、みんな笑顔で「また来年ここで会おう!」「再開後のトップバッターは虹歩さんだな」なんて話していた。再開したら必ず行くと宣言する客がこんなにいるんだから、絶対に営業を続けてほしい。
湿っぽさなんてみじんもなくて、最後までいつも通りの上野だった。笑って、楽しんで、散って、集う。
また、集おう。
攻めてるマンション「デュフレ横浜石川町」見学してみた
今年入って半年経つけど、緊急事態宣言が出てない日数って一ヶ月くらいだよね、なんて話をすることが増えてきた。街中では夜間もお酒提供営業し出す居酒屋も続々出ている。イセザキ・モールはますます無法地帯めいてきて、週末には楽しそうな声があちらこちらから聞こえる。真面目に自粛した方が損をする、なんて呟きも聞く。そう思うのも仕方ない。海外のロックダウンのような強制力がない、人々の良心と相互監視に頼った緊急事態宣言は、去年の1発目の数ヶ月しか効力が発揮できなかったのだろう。
ま、それでも当面は大人しくステイホームを続けます。ワクチンが普及するのを大人しく待ちます。やっぱりコロナに罹患したくはないし、人にうつしたくもない。ひとり遊びも在宅も性に合っているのか今の暮らしにストレスはあまりない。苦手な大人数の飲み会に行く必要もないし、地獄の通勤ラッシュに巻き込まれない今の暮らしは、正直なところ、かなり居心地が良い。猫たちとのんびり寝起きできる家と、ひと気の少ない街角散歩の機会と、気心知れた身近な人としっぽり飲食できる場所と、ふらりと映画や舞台を観る時間があれば、精神の安定が図られることが分かったことは、コロナ禍の収穫だったようだ。シンプルライフ。
とは言え、一番大きいのは引っ越しによるクオリティ・オブ・ライフの向上だな。何だかんだ、家の居心地が良ければ外出しなくても色々楽しめる。おうち最高!光通信にしたのでWi-Fiも飛ばし放題!ふかふかのダブルベッドはいつまででも寝ていられる!
今は、まだまだ続きそうなステイホームライフをさらに向上させたくて、高みを目指したいと思っている。そんなわけで、マンション見学に行ってみた。や、引っ越したいとかマンション買いたいとかの意図はない。近所におもしれー物件ができるので見てみたいという好奇心はあった。一番の目的は、そのマンションが取り入れているデザインやインテリアの工夫、暮らしやすくなる機能がどんなもんかを知って、真似すること。
学ぶことは真似ることから始まる。世阿弥の「風姿花伝」を愛読する私は、優れたアイデアがあれば積極的に真似して自分のものにしたいと常々思っている。もちろん盗作はNO。
で、行ったのはこちら。石川町駅から徒歩4分の新築マンション「デュフレ横浜石川町」。マンション見学は初めてなのでテンション上がった。
100%冷やかしは営業担当者に失礼なので、ちょっとは真剣に検討しましたよ。でも、両親転勤族で同じ家に5年以上住んだ経験が1回しかない(それも社会人になってから)人間にとって、終の棲家を持つことはいまいちピンと来ないのです。将来何があるか分からないのに長期ローンで何かを買うことへの抵抗もある。あと持ち家の実家あるし。
しかし、そんな賃貸派の私ですら魅力的と感じた物件がこちらだったのです。
まずね、ロビーがすごい。マンション内にコワーキングスペースがある。NURO光が通っていて、通話できる個室もあるし、印刷もできる。非接触にも力を入れていてセンサー入りのカードを持つだけで自動ドアが開くから、いちいち取り出してピッとする必要がない。時間貸しレンタサイクルのポートもマンション内にあってちょっとした利用にも便利そう。
居室内もすごいぞ。ドア前の「デリストレージ」は置き配配達に便利だし、アウトドア用品やトランクなどかさばる荷物を収納できる。「DEN」なる在宅勤務に特化したスペース、女性デザイナーが開発したクローゼット、色や素材を無料で選べる壁・タイルなどの自由度の高さ。「ベンチ・コンサバトリー」という日なたぼっこができる空間。
価格も思い切った。2LDK3,200万円台が標準。今は住宅ローン減税やペアローンなど充実しているから、共働き家庭DINKSにはうってつけの物件と言えるだろう。しかも「住みたい町ランキング」で常に上位をキープしている横浜市に住めて、中華街やハマスタに歩いて行ける中区市民になれる。が、しかし、物事には理由がある。こんなに素敵な物件なら即完売御礼になるし、この価格は成立しない。
なんと、ドヤ街ど真ん中に立地しているのである。横浜市民なら地名を聞いただけで多くの人が察する、寿町エリア(松影町)である。寿町と言えば、弊ブログでも度々紹介している気がするが、かつての港湾労働者の住処で、現在は住民の8割が生活保護受給者という福祉の街。晴れた日にはおじちゃんたちが道ばたで酒を飲んだり寝ていたりする平和な地域だが、反社会的な方々の事務所も多くある危険地帯でもあるので、横浜市民は用事がなければ決して足を踏み入れることはないエリアである。かつては「当たり屋を恐れて地元タクシーは決して通らない」とも言われていた。道や川を1本隔てるだけで異世界ワンダーランドに行けるのが横浜の面白いところだ。
ちなみに、このマンションのコンセプトは「THE LIGHT HOUSE」、つまりは灯台だ。「光を当てるのはこれからの価値観です」とのメッセージを翻訳すると、「現在は日本三大ドヤ街だけど、生活保護受給者の高齢化も進んでいるし、2020年代に関内駅周辺で複数の再開発が予定されているから、長い目で見たら寿町エリアも様変わりする可能性がある」という感じか。
マンションを販売するデベロッパーも、この点は誠実に話してくれる。そもそも見学に行く前の電話で「この地域の特性はご存知ですか」とジャブをかましてくるし、営業担当者は「ウキウキして現地見学に行かれた方の9割が暗い顔でお戻りになります」とぶっちゃける。
再開発によって地価が高騰し、街の住人が強制的に入れ替わることを「ジェントリフィケーション(都市の高級化)」と言う。このエリアの再開発や、このマンションが誕生することによって寿町のイメージを一新させたいという大いなる意思があることは間違いない。そして、将来のポテンシャルを期待してこの物件を購入する人たちは、(当人の意図の有無にかかわらず)ジェントリフィケーションの尖兵として送り込まれることになる。
私は寿町の歴史や文化を面白いと思うし、色々な事情があって寿町に辿り着いた現住人たちはこの先もこの地で暮らしたいと思うのではないかと考える。将来的に変化を強いられることはどんな土地でも避けられないけれど、ゆるやかにマンションの住人たちと共存できる手立てがあるといいな。生活保護受給者の死や立ち退きを願いながらこの地に居住するのだけはやめてほしい。
・・・と、つい寿町に対して熱を込めてしまったけれど、本題はそうではなく、このマンションの良さを今の暮らしに活かすことですよ。真似したい点と惹かれた理由を考えてみよう。画像はすべてデュフレ横浜石川町のHPから引用しています。
①ロビーのテレワークスペースが、気分転換できて便利そう
部屋で仕事できるなら部屋でいいじゃん、という身も蓋もない意見もあるだろう。そーだけど、気分が乗らない時は人目があった方が捗るのも事実なのだ。Wi-Fi環境と机とついたてと電源さえあればPCが開けるので、徒歩で行ける近所に逃げ場があると嬉しい。
[解決策]家の近所のテレワークスペースを見つけよう。ミーティングがないならファミレスや喫茶店も使ってみよう。
②自宅のテレワークスペースを格好良く使いやすくしたい
今はダイニングテーブルにPCを置いて、キッチンをバックに仕事をしている。食事用のテーブルなのでPCは出しっぱにできず、毎日棚に移動している。できれば固定して電源処理もしたい。テーブルに猫が乗るので圧を感じる。明かりは天井の照明だけなのでもう少し照度を上げたい。
[解決策]テレワーク専用のテーブルを設けてみようかな。デュフレ横浜石川町のようにPC用のテーブルを壁付けにしてもいい。ダイニングテーブルの椅子とは分けて、ちゃんとしたオフィスチェアの導入も検討してみたい。
③リビングダイニングのレイアウトと照明計画を見直す
空間の雰囲気は照明と什器で様変わりする。思えば、引っ越した時に置いた家具の位置は適当だったか?図までの広さはないものの、もっと効率的にスペースを使える気がする。図の中でカーテンでなくブラインドを使っているのも明るくて面白い。我が家はサンルームがあるので、カーテンがなくてもいいわけで。あと、ダイニングではヨガやZUMBAやリングフィットをするから、ワークアウト用の道具を仕舞う棚も必要がも。
[解決策]②で書いた通り、ダイニングテーブルとテレワークスペースを分離する。照明を増設する。カーテン以外の遮光方法を検討する。家の中にグリーンを増やす。
④窓辺の空間を過ごしやすくする
前述の通り広めのサンルームがあるのですが、猫の王国&洗濯干し場&物置と化しています。それでもいいけれどベンチくらい置いても悪くない。ただ、下図のような読書場にするには猫のトイレの臭い問題を解決せねば。
[解決策]前の家から持ってきた粗大ゴミ(ゴミ箱)をいい加減捨てる。猫餌や猫砂などの猫グッズの収納を再考する。猫と話し合う。
書き出してみると、案外少ないし解決可能だ。現住居の立地はデュフレ横浜石川町以上に申し分ない便利さで、そのほかの機能はあまり遜色ない。我が家以外の多くは分譲住民なので治安もよく、24時間ゴミ出しや管理人の常駐などの恩恵を受けている。床・壁・天井の色や素材はカスタマイズするほどこだわりがない。あとアップデートできるのは家電くらいか。寝室もまだまだ何かできそうだ。・・・結果的に我が家最高説が高まってしまった。
運良く今の家が見つかったから良かったものの、横浜市内駅近で猫2匹飼えて2LDK以上で家賃抑えめの賃貸物件なんてほぼゼロなのよね。たまにSUUMOで検索してもロクな物件出てこないし、見つからなかったらマンション買わざるを得なかったのかも。むしろ現住居のマンションを分譲してほしいくらいだ。つくづくご縁に感謝。できるだけ長く住めるよう、大事に暮らしていこう・・・と改めて誓ったのでした。
神保町シアターで「鬼の棲む館」を、シネロマン池袋で「美加マドカ 指を濡らす女」を観る
神保町シアター「生誕百年 映画監督・三隅研次と女優たち」特集で「鬼の棲む館」を観た。大好きな女優のひとり、新珠三千代が出演していた。
S44('69)/大映京都/カラー/1時間16分
■監督:三隅研次
■原作:谷崎潤一郎『無明と愛染』
■脚本:新藤兼人
■撮影:宮川一夫
■音楽:伊福部昭
■美術:内藤昭
■出演:勝新太郎、高峰秀子、新珠三千代、佐藤慶、五味龍太郎、木村元(木村玄)、伊達岳志(伊達三郎)、伴勇太郎、松田剛武、黒木現
南北朝の頃、盗賊が情婦と暮らす荒寺に現れたのは…。谷崎戯曲の映画化で、敵対する女を演じた高峰と新珠が火花を散らす異色時代劇。
谷崎は結構読破したと思っていたけれど、これは読んでいなかった。相変わらず冒涜的な物語で、女性上位の願望ダダ漏れである。出演陣やスタッフが豪華で、高峰さんと新珠さんに勝新が完全に食われているのが良かった。新珠さんは「洲崎パラダイス赤信号」で魅せた薄幸美人とは打って変わって、「白拍子(男装の舞妓とされているが、作中では娼婦のように扱われていた)」を演じるファム・ファタル的悪女も似合うというのが発見であった。当時としてはかなり大胆な脱ぎ(上半身ポロリは当たり前)&絡みのシーンが多かったが、カメラワークは首から下のみが目立ったので、スタントを用意したのだろうか。
続いて、にっかつロマンポルノ。
■配給:にっかつ
■製作年:1984年
■監督:神代辰巳
■キャスト:美加マドカ 内藤剛志 広田行生 丹古馬鬼馬二 北見敏之 上田耕一 よしのまこと 麻生うさぎ 蘭童セル 藤ひろ子 高橋明 白山英雄 大江徹 庄司三郎 志水季里子 三戸部スエ
ストリッパーの未来まゆみ(本名・徳永君代)は蒸発した男との間に出来た赤ん坊がいる。まゆみは二枚目の舞台俳優、俊一郎と同棲しているが、彼は旅公演が多い。俊一郎がまた旅に出ることになり、いない間、まゆみの身の回りの世話をするために、彼の友人の勇次(内藤剛志)が来ることになった。肉体的には俊一郎を愛しながら、精神的には勇次を好いているまゆみ。二人の男の間で君代の心は微妙に揺れ動く……。
鬼才・神代辰巳が手がけた日活ロマンポルノ晩年の作品。神代は製作の前年1983年に肺気胸で入院し、片肺の機能はほとんど失っていたそうだ。酸素ボンベを携えての撮影だったとか。1970年代は年に4本程度ロマンポルノを撮っていたが、この時期は年1本程度にまで減っていた。そのせいか、作中のムードはどことなく暗く、退廃的で厭世的だ。
美加マドカについて知っている映画人はそう多くないと思う。ストリップ界隈に詳しい方ならばこの名前に聞き覚えがあるかもしれない。彼女は岐阜市出身の元ストリッパーで。1982年に神戸、新開地にあった「新劇ゴールド(現在は閉店)」にてデビューした。WIKIの引用だが、「十日間の興業が客が入りきれなくて二十日間延長になるという前代未聞の状況も引き起こし」たほどの伝説的な踊り子だ。TVやラジオにも引っ張りだこで、歌手デビューを果たすなど人気を誇ったが、1989年5月浅草ロック座にて引退。その後、故郷・岐阜市の柳ヶ瀬でスナックを経営しているとのこと。
こんな2人が組んだのならば、同じくストリップをテーマにした「一条さゆり・濡れた欲情」のような名作に仕上がったに違いない…と意気込んで観ると拍子抜けしてしまうかも。美加マドカのステージシーンは期待よりも短く、物語の中心ではないからだ。どちらかと言うと主役は内藤剛志だった。
内藤剛志といえば「科捜研の女」「警視庁・捜査一課長」など人気ミステリー&刑事ドラマの顔的俳優だが、当時の駆け出し俳優にありがちな話だが、彼もまた若い頃はロマンポルノに出演していたのだ。うん、確かに演技力は光るものがあった。今度「科捜研の女」で彼を見かけたら、美加マドカに言いように使われて行き所の無い青い性を持て余す姿を思い出し、胸がジンとしてしまいそうだ。
横浜市立金沢動物園に行き、蕎麦屋で酒を啜る
大人になってからますます動物園が好きになった。別にゾウとかキリンとかスターアニマルでなくてもいい、トリとかサルでも何でも、毎日見ている人間とネコ以外のいきものが動く姿を目撃できるだけで驚くほど楽しい。
私だって人の子なので、子どもの頃は家族で動物園くらい行った。国内だけでなく国外の動物園に行った記憶もある。しかし獣医だった父親は「大抵の四つ足動物は殺したことがある」と言い、新しい動物のコーナーに行くたびにその殺し方を教えてくれた。しかも、動物由来の感染症に関する研究者でもあったため、その動物が伝播するウイルスや病気、寄生虫に関する情報も伝えてくれた。ウサギやモルモットに触れる「ふれあいコーナー」に行けば「屋外にいる動物には決して触らないように。健康そうに見えても、実は人にうつる病気を持っている可能性がある」と厳しく言われた。おかげで衛生観念は人並み以上に身についたが、異性とデートに行ってふれあいコーナーで「キャーカワイイ!」とウサギを抱えて映える写真を撮ってもらうチャンスは永久に失われた。病気の心配がない動物の骨格標本は触ることが許されたので、骨フェチになった。
横浜に越して良かったことのひとつに、すぐ行ける動物園の選択肢が多いことが挙げられる。徒歩で行ける野毛山動物園は無料だし、京急線ですぐの横浜市立金沢動物園、世界中の動物が集まるよこはま動物園ズーラシア、万騎が原ちびっこ動物園などがある。市区町村単位では国内最多だ。なぜ横浜市で動物園が充実しているのか、横浜が誇るメディア「はまれぽ」がその謎に迫っていた。
記事内では、横浜市長の思いが強いからと結論づけられているが、個人的には、横浜に動物園が多い理由として、港町なので動物を海外から運びやすかったこと、戦前戦後に多数開催された博覧会の目玉だったことなどが思い浮かぶがどうだろう。同じ理由で神戸にも魅力的な動物園が残っている。
のんびり歩き、2時間ほどで見終わった。日が傾いてきたので植物園の方はまた今度。BBQコーナーがあるので、コロナが落ち着いたら試してみたい。
小腹が減ったので、金沢文庫の駅に戻り、商店街の奥にあった蕎麦屋「壱」に立ち寄った。
初めて行った店だが「当たり」だった。肴が充実していて、安くて美味い。日も高いうちから蕎麦屋で軽く呑むことが楽しいと知ったのはいつだったか。軽いつまみを何品かつまみながら酒を啜って胃をあたため、最後にきゅっと冷えた盛り蕎麦で「締める」のが乙である。
蕎麦はいつ食べても美味しいし、関東ならば割と何処でも食べられるのが素敵だ。ワンコインで腹を満たせる駅蕎麦がそこら中にある日本は最高の国だと思う。かといって、箱根などのリゾート地で1食2,000円くらいする蕎麦は駅蕎麦の4倍うまいかと問われると納得できないが。どこまでいっても庶民のファストフードであってほしい。
大学在学中、貧乏に喘ぎ苦肉の策で友人と「Amazonの激安蕎麦」を共同購入したことがある。二八蕎麦が数キロ入って1,000円ちょっとだった。めっけものだ、これで次のバイトの給料日まで一ヶ月凌ごうと思ったが、うまい話には落とし穴があるもので「小麦粉2:蕎麦8」の二八ではなく「小麦粉8:蕎麦2」の八二蕎麦だった。ほぼうどんじゃん。来る日も来る日も不味い八二蕎麦を食べ、めんつゆの味に嫌気が差して袂を分かち、ペペロンチーノ蕎麦や蕎麦ラーメンにチャレンジするも撃沈し、最終的にはヤフオクでオタクグッズを売って生活費の足しにする際に荷物の緩衝材として使い切った。
蕎麦にはそんな苦い思い出があるだけに、自分の稼ぎで食う蕎麦の美味さも感慨もひとしおなのである。