真夏の彫刻まつり~東京ステーションギャラリー「藤戸竹喜展」おすすめです!
最近観た展示はどれも大当たりだった。六本木ミッドタウン「北斎づくし」、サントリー美術館「ざわつく日本美術」、2121DESIGN SIGHT「ルール展」など、企画構成者の妙に唸る展示ばかりだった。どれひとつとっても語りたくなる出色な催し。
緊急事態宣言をものともせず、開館し続けてくれる文化施設には感謝しかない。そんな企画展が豊作な夏、二回目の「特別な夏」、最も心を打ったのはこちら。東京ステーションギャラリーで開催中の「木彫り熊の申し子 藤戸竹喜 アイヌであればこそ」。
スミマセン、勉強不足ゆえ藤戸竹喜さんのお名前を今回初めて知りました。なんでも、12歳の頃から熊彫りを始めた、アイヌ民族ルーツの彫刻家だそう。ばかばか。今まで知らなかったことを後悔するくらい、感動した。
「熊の彫刻?ああ、昭和の人、北海道のお土産で貰ったよね~実家の玄関に置いていたw」なんて人も多そうだけど、もう、全然レベルが違うので。お土産の熊は、私的にはキッチュで好きだけど。鮭持ってる子でお願いします。
藤戸さんの作品がどんなに精巧で迫力があるか伝えたい。展示室内写真NGなので、拾いものの写真を載せます。
館内風景は上のサイトが見やすいです。《樹霊観音像》はぜひステーションギャラリーとっておきのあの空間で。
藤戸さんは制作にあたって一切デッサンすることがなかったそう。丸太に簡単な目印を入れるだけで、あとは一気に形を彫り出していく。それはあたかも木の中に潜んでいる形が予め見えていて、それをただ取り出してやっているだけ、というかのよう。実際の制作風景を撮影した映像も上映していて、迷い無くチェーンソーで削り出していく神業を目の当たりにした。その手塚治虫「火の鳥・鳳凰編」に登場した隻眼隻腕の彫刻家・我王のような天賦の才だった。ご本人は熊みたいな、笑顔の素敵なおじちゃんだった。
間近で見ると驚かされるのが、毛彫の緻密さ。息を吹きかければ毛並みが動くのではないか、と思うほどの柔らかな質感が表現されている。ケース無しで展示されている事もあり、繊細な仕上げを堪能できた。
彫刻の展示は、まだまだオンラインや図録で追体験することができない。リアルな場所でモノと対峙しないと何も伝えられない。だからこそ今開催する意味があると思った。照明や配置も絶妙で、ステーションギャラリーの雰囲気ともよく合っていた。
今のひとつ前の展示「コレクター福富太郎の眼 昭和のキャバレー王が愛した絵画」(2021年良かった展示暫定トップ)も最高だったし、次回の「小早川秋聲 旅する画家の鎮魂歌」も絶対好きなんだけど、ここ数年のステーションギャラリーの外れの無さはガチってる。中の人たちの才能が怖い。
展示を見始めて「あーーこれはやばい、良良良の良(よよよのよ)」と身震いして、先に進んで見終えてしまうことが残念に思えて、永遠にこの場に留まっていたいと思えること、年に何回もないけれど、私はそういう瞬間のために全国の企画展を十年以上追いかけているんだろうな。
この展覧会も、そういう展示だった。のっけから脳天にガツンと来て、中盤は木肌をなぞる眼が幸せすぎてどうにかなりそうだったし、終盤の連作《狼と少年の物語》には思わず涙した。その後、藤戸さんと奥さんのエピソードを知って涙が止まらなくなった。見終えて、家族友人らに「良かったから行ってほしい!」と即LINEした。もう一度行きたいな…。具象彫刻ばんざい!特に動物の彫刻は大好きだ!
数日おいて、イサム・ノグチ展の最終日にかけこんだ。東京都美術館「イサム・ノグチ 発見の道」。や、美術史学徒(しかも専門は近現代)からするとね、「え、今さらイサム・ノグチですか?何年か前に大きめの個展あちこちでやってたよね」という偏見がありました。「ウ~ン、インスタ映えが好きな今の若い子にあの世界観が受けるかな(笑)」とすら思っていた。だからこそ、ミュージアムファンの禁じ手とされるブロックバスター展最終日駆け込みという愚行を犯してしまったのです。ごめんなさい。でもめっちゃ良かったです。
私、《あかり》シリーズ好きなんだけど本物は手が出ないので、学生時代はニトリで売っていたペンダントシェードを使っていました。通称・ジェネリックあかり。
前言撤回、抽象彫刻も最高!生涯を通じて「彫刻とは何か」を追求し続けたアーティスト、イサム・ノグチ。
コロナのおかげで展覧会めぐりのペースがぐっと落ち、月20件→10件くらいに減ってしまった。なんといっても地方に行けないのが痛い。テレワーク中心なので終業後に行けないのも大きい。それでも京都の楠本まき展を逃したのは悔しかった。ま、首都圏開催の展示はほぼ押さえているし、辛くも及第点か…。引き続き、貪欲にチャンスに食らいついていこう。今は横尾忠則展に行くのが何よりの楽しみです。