盛り場放浪記

花街を歩くことが楽しみな会社員による、酒とアートをめぐる冒険奇譚。

とつぜん、恋に落ちた話

人が恋に落ちる瞬間はいつなんだろうか。

恋はするものなんじゃない、落ちるものだ、なんて戯言が甘く響く時、その人は既に恋の虜になっている。落ちる。何に?見えない落とし穴に。足を滑らせて、瞬間意識を奪われて夢中になる。けれど、絶対に底はある。

とある食事の最中、初めて対面でマスクを外して喋る彼女に、私はちょっと恋に落ちかけた。「落ちかけた」という時点で、もう「落ちている」んですよ、と冷静にツッコミを入れる自分もいる。わかっている。

決して、色恋的な情動ではない。付き合いたいとかそういう次元の話ではない。

言葉にするのが難しいのだけれども、自分と彼女との「落差」あるいは「距離」みたいなものに惹かれたのだ。魅力は、遠さ。

私は割に、自分と全然違う考え方をする人間、自分が想像もつかない生き方をする人間に興味を持って近づきたくなる性質なのだけれど、それは性別の区別を必要としないものなのだな、とはじめてハッキリと自覚することができた。

 

「何をしている時が一番幸せ?」という他愛のない話題に、私は「おいしいものを口にしている時」と素直に答えた。1杯目の生ビールで、焼き立ての豚タンを流し込んでいた。幸せそのものだった。

その場にいたもう一人の女性は、「風を感じている時です。サウナから出て水風呂に入った瞬間とか、山の頂上を登り切った時とか」と素敵な答えを口にした。件の女性は、「私は、ちょっとここでは言えない」と照れながら前置きをしつつ、私たちに何度か促されて答えを明かした。

「イケメンに抱かれている時。」

ああー、なるほど。まぁ、口ごもる時点で性的な何かだと思っていたし、どちらかというとオーガズムの話かと思っていたら、イケメンですか。2011年に「美男(イケメン)ですね」というTBSのドラマがあったな…なんて時空を遡るくらい、自分にとっては衝撃的な答えだった。

「イケメンって例えば?」「斎藤工みたいな。」

うん、確かに「昼顔」の斎藤工はセクシーですよね。自然体なのにどこかミステリアスで。でも、イケメンかそうでないかで男性を判別しない自分にとってその発想はなかった。というか私は顔面の造形に興味がないのかもしれない、むしろ骨格や筋肉の方が萌えるので。

よくよく話を聞くと、その女性は面食いかつ年下好きで、しかもちょっとダメなクズ・ヒモ男で、でも分不相応な大志を抱いちゃうコに弱いらしい。かつ本人曰く被虐趣味があるので、そんなダメダメな男性から虐げられたり、下に見られるのが好みだそうな。

私は、年の割に女慣れしていて甘え上手で、器量のいい男性の多くはクズの素質があるのではないかという偏見がある。だから極力近づかないようにしている。…同族嫌悪という説もある。それはいいとして、あまりにも自分と正反対な異性の趣味で驚いた。どこがいいんだそんな男?

全っ然理解はできなくとも話は盛り上がり、最終的には打ち解けて、彼女のセンスを見込んで私の家のインテリアコーディネーターになってもらうだとか、彼女が引越しをする時には不動産屋巡りに付き合うだとか、彼女が帰省する時には実家に遊びに行かせてもらってご両親と飲みたいなんて、ほんの1時間でなんだか急に距離が詰まった。ヒトとしてのベクトルは真逆なのに、仲良くなれるのは不思議だ。

これまで、異性愛の場合、男性と女性はある意味正反対の役割(肉体的にも、精神的にも、性的嗜好にも)を持っていたほうが、お互いの存在を補完しあえて良いパートナーになるのではと思っていた。

対して、友人関係の場合、一定の共通点、例えば「好きなバンド」「好きな料理屋のジャンル」「嫌いな同性」のような要素が多ければ多いほど、仲良しレベルを上げられるように思っていた気がする。学生時代は、「同じ学校」「同じ部活」「同じ最寄り駅」のような共通項が多いほど急速に親しくなって、卒業後に一気に疎遠になるように。

けれども、こういう、あんまり共通項はなくて、むしろ正反対に思える特質をたくさん持っていることを素敵だなと思えて、全くもってうらやましくもないけれど、その考えって新しいしオモロいなって感じられて、一緒に同じものを見たいと、彼女を通じて思うことができた。や、対面で話したのはほんの数時間ですが。彼女がどう思ったかは別ですが。

でも、こういう直感は当てになるってことを経験から学んでいるし、できれば大事にしたいなと思う。誰かのことをもっと知りたいと思えて、世界が広がっていくトキメキ。それは、私にとって恋に近い感覚。こういう心持ちでずっと暮らせたら、世界はもっと平和になる気がするのに。