楽しく、新しく、続けてみよう~ライフハックについて
少し早起きできた朝、バスタブにお湯を張ることから一日を始めた。寝巻にパーカーを羽織り、プラスチックごみの日だったのでマンションの外に捨てに出て、ついでに郵便受けの新聞を回収した。息が白くなるほどではないけれど、身が引き締まる寒さ。
「ふゆはつとめてーー」
清少納言『枕草子』の一節を思い出す。確かに冬の朝はいいけれど寒さにはかなわん、慌てて部屋に戻り、布団の上でだらしなく開いている猫たちを横目に寝巻をすべて脱いだ。脱皮した抜け殻は猫たちの上に投げ捨てた。お風呂場に直行して、ざぶんと浸かる。はぁ~極楽極楽。
首まで浸かりながら、この感覚をどこかで味わったことがあるなと気づいた。頑張って寒い思いをしてからの極楽…なんだっけ。ぶくぶくぶく。頭まで浸かる。
あ、露天風呂だ。
温泉は年中最高だけど、温泉宿はとくに冬がいい。おおごちそうを食べて深酒した翌朝、気合で布団から這い上がって、着崩れた浴衣を直しながら露天風呂へ一直線。どうせすぐ脱ぐんだから帯は適当でいい。眼鏡とタオルと鍵さえあればなんとかなる。脱衣所で浴衣をかなぐり捨てて、いざ露天風呂。気温10度以下の明るい屋外に全裸で飛び出すことなんて、普通に生活していたら年に何度も、一生に何百回も起こらない。
昔はもう少しとっつきにくい人間だった、と思う。自分のことで精一杯で、他人に興味を持ったり交流する余裕がなかったのかもしれん。内側はドロドロで、外殻はピリピリしていた。
道程でたくさんの何かをこぼれ落としてきた、と思う。美しさと正しさが等しくあると疑わないで居られるのは若さ故。不可逆な過ち、力及ばない悔しさ、どうしようもない人恋しさを覚えて、寛容さをちょっとずつ身につけて大人らしくなっていくのだろう。
最近は「いつも楽しそうだよね」と言われることが増えてきた。大人とは自分の機嫌が自分で取れる人間のことである、という戒めを持っているので、少しは大人になれたのかなとホッとする。できれば四六時中ゴキゲンでいたい。私生活や仕事でトラブルが起こった時も「面白くなってきやがった…!(by次元大介)」と心の中で呟いている。不謹慎ばっちこい、能天気イズ最強。陽気なギャングが地球を回す。
ゴキゲンでいるためのライフハックがある。たぶんどっかの自己啓発本にも書いてあるような他愛もないことなんだけど、30年間生きてきて編み出した、自分なりのライフハック。
毎日ひとつ「楽しい」を見つけること、毎月ひとつ「新しい」を始めること、毎年ひとつ「続ける」こと。
毎日の「楽しい」は美味しいものを食べるとか、コンビニの新作フードを買うとか、馴染みのバーで好きな一杯を飲むとか、軽くてささやかな喜び。寝る前にぼんやり思い出すと幸せな気持ちになる。
毎月の「新しい」は本屋で知らない作家の本をジャケ買いするとか、知らない地域や駅に行くとか、未開拓な盛り場(オススメはストリップ劇場、名画座、コの座酒場、バーなど)のドアを開けるとか、世界を少しだけ広げて覗いてみる発見。刺激的で享楽的で、こんな場所でこんなことが!を知ると、いつもよりも世界が広くなった気がする。
毎年の「続ける」は、好きなYouTubeチャンネルを観続けるとか、気に入った作家の新刊を必ず買うとか、新聞や雑誌を定期購読するとか、ラジオ英会話を聴き続けるとか、ジムやヨガでもなんでもいいけど習い事に通うとか、その道の奥深くに入り込んでひとつのことを極めようとする努力。継続は力なり。武道や茶道などの「道」とはよく言ったもので、終わりがないのがいい。牛歩の進みでもいいし、止まってもまた気が向いたら歩き始めればいい。拠り所を複数持っておくと心が安定する。
コロナ前は、毎月LCCで海外に弾丸一人旅したり、ストリップ劇場に毎週通ったり、毎晩飲み歩いていた。今は大幅にスケールダウンしつつも、周りの人に恵まれているおかげで毎日・毎月・毎年楽しく過ごせている。
去年から始めたZUMBAは2つのサークルに入って精進中。初めは数曲踊るだけで息が切れていたのに今は1時間踊り通せるくらいになった。キレッキレに踊れるようになりたい。キレッキレに踊れるアラサーって格好良いと思う。
来年からはサンバを始める。いつか浅草サンバカーニバルに出場するのが夢だ。大学のゼミで映画「黒いオルフェ」のカーニバルシーンに魅せられて、暮らした浅草の街のサンバカーニバルに夢中になり、音楽と踊りと街が一体になった空気が好きになった。
幼少期にクラシック・バレエをかじった程度で踊りの経験はほとんどない。今更遅すぎるよなぁ、もっと前からやっとけばよかった、せめて二十歳から始めておけば…という気持ちもある。でも1年ZUMBAを続けて少し自信を持てたし、二十歳の頃は別の何かに夢中になっていたし、色々あっての今なんだから、始めるならば今が一番早いスタートダッシュ。そう思い込んで、みっともなくてもゼロから始めるのである。
ランニングも5年続いた。週に2~3回10kmを走るだけのソロ活。マラソン大会には出るつもりないけれど、いつかトライアスロンにも挑戦したい。こないだ琵琶湖南湖をクロモリで一周したのが楽しかったので、来年はびわ湖一周サイクリング(ビワイチ)もやりたい。ロードバイクほしいな。Re:ゼロから始める体育会系生活。
マリンスポーツも始めてみた。海でSUPに乗る程度だけどね。今年は大井町「スポル」(すでに閉館)でシティサーフィンに挑戦した。ZUMBA効果か割に体幹がしっかりしているので、一発で波に乗れた。何にも拠り所がなく水の上に立つ感覚にゾクゾクした。来年は海に出てみよう。
色々始めてきた。続けるかどうかは分からないけれど、やれるだけやってみる。どれもきっかけはほとんど人づて。信頼できる友人たちが勧めてくれるものは、十中八九楽しいという経験則。
入りたかったサンバサークルも、友人の伝手であっさり見つかった。引っ越した先の友人の友人がサンバの人だったという僥倖。ハマで知り合う人みんなに「横浜でサンバやりたいんですよー」と言っていたらすんなり出会えた。シンクロニシティ。
巡り合わせは偶然なんかじゃなくて、人から貰うもの。すべてのご縁に感謝。なんて、10代の自分に聞かせたら笑われそうな、至極当たり前な結論に今はたどり着いた。
仕事とは全然関係ない内容で、仕事では出会えない人たちと交流できるのが楽しい。毎週会って一緒に何かをする。部活かよってくらい熱血に。単純に楽しいんだけど、居場所づくりという意味でも、社会人こそ課外活動したほうがいいんじゃないかなと思う。
ずっとやってみたかったグランピングをする機会にも恵まれた。あきる野の山中「WOODLAND BOTHY」にて。1日1組限定で素敵な山小屋に泊まり、専用シェフが料理をしてくれるというもの。
車で近くまで来て、30分山を登る。山と言っても獣道でなく整備されているので、動きやすい恰好とスニーカーであればそこまでつらくはない。きつい坂や階段が続くので、少し息が切れる程度。
人里離れて、自然の音しか聞こえない世界へ。
泊まる山小屋が見えてきた。もう少し!
到着。ふかふかのベッドやくつろげるテーブルが美しくセッティングされている。自分でテント立てなくていいのって楽。
景色は最高。ハンモックにゆらゆら揺られながら山を眺めた。
部屋のいたるところに飾られたドライフラワーのあしらいが素敵で、思わず洗面所でパチリ。
紅葉を肴に、まずはビールで乾杯。
なんと温泉つき。ほかの宿泊客もいないので優雅に占領できた。窓を開けて涼しい風を浴びて露天風呂気分。
とても美味しい夕食後は焚き木時間。火ってキレイだなぁ。
オプションで花火やらせてもらった。
朝食も美味しかった。この山奥まで食料を調達するのは大変なんだろうなぁ。普段のキャンプは食料や水、お酒を背負って大荷物なので、手ぶらで来られるグランピングはとっても楽ちん。
あんまりに素敵な体験だったので、すっごく久しぶりに絵を描いた。へたっぴなんだけどね。キラキラした時間をガラスケースに閉じ込めて永遠のものにしたいけれど叶わないので、なんとか記憶に留めておくために、思い出すための糸口にするために、人類は文学や音楽や芸術を生み出したんだと思う。
もともと表現することが好きだったけれど、私の場合は絵よりも言葉の方が精度高く使いこなせたので、言葉を操る仕事を選んだ。絵を描くことより、描かれた絵について語るほうが得意だったので。でも絵を描くこと自体は今でも結構好きなので、来年からはたまには描いてみようかな。誰に見せるわけでもない、思い出クロッキー。
人の一生って、長い時間をかけて何かを得て、もっと長い時間をかけてそれらをひとつずつ失っていくようなものだと思う。家族、恋人、友人、ペット、能力、地位、若さ、感性、五感、自意識。大事な人も楽しい体験も、いつか思い出せなくなる日が来る。最後に残るのは使い尽くした肉体のみ。借り物の容れ物。それすらも、筒井康隆の「残像に口紅を」のラストのように幕が引ける。いつか失うからこそ今を大切にしないと勿体ない。困難に負けそうな時は心のガラスケースの中のキラキラした思い出を眺めよう。
唐時代の詩人・于武陵の「勘酒」という詩が好きだ。尊敬する映画監督・川島雄三がよく引用していて、私もたまに口ずさむ。
勸君金屈卮(この杯を受けてくれ )
滿酌不須辭(どうぞなみなみ注がしておくれ)
花發多風雨(花に嵐のたとえもあるさ)
人生足別離(さよならだけが人生だ)
さよならだけが人生ならば、また来る春に何をしたい?