盛り場放浪記

花街を歩くことが楽しみな会社員による、酒とアートをめぐる冒険奇譚。

日ノ出町に書き残したままのラブレター

私の住む街は、その最寄り駅の名の通り日の沈むことを知らない、昼夜問わず薄明るい街である。私は、日ノ出町・黄金町・曙町・福富町・蓬莱町・長者町末広町・万代町・不老町・寿町など、縁起の良い町名に囲まれて暮らしている。

 

とある緊急事態宣言下の零時過ぎ、横浜駅から京急線でほんの数分。傷んだ長い金髪とアニマル柄のトップス、短いスカートを身に着けた若い女性と、今にもお尻が見えそうなワンピースを着た女性が慌ただしげにホームに降り立った。黒いウレタンマスクから鼻を覗かせて、少し脂浮きした化粧を気にしながら改札へ向かう。高いヒールは頼りなさげで、ところどころキズが付いている。けれど足取りは確かで、彼女たちは福富町方面に迷わず向かう。

横浜駅西口の居酒屋で飲んだその足で、朝まで営業しているクラブに行くのだろうか。音楽を楽しむクラブなのか、異性との会話を楽しむクラブなのかは分からない。私はどちらも行ったことはないけれど、その存在は地元人に有名だ。経営者は日本人じゃないだとか、現金が飛び交っているだとか、たまに警察が踏み込むだとか。

 

私の通う婦人科では、朝っぱらから派手な化粧とドレッシーな恰好をした女性たちが集う。零れそうな目玉のチワワを抱えた女性、日本語話者ではなさそうな女性たちを、ムームーのようなユニフォームを着た看護師たちがさばいていく。

性風俗業に従事する女性たちが、STD検査(性病検査)をしに来るクリニックでもあるらしい。NN(「ノースキン・中出し」の略)、即尺(「即フェラチオ」の略)、即即(「即尺即ベッド」の略)といったワードが飛び交う。

常備薬の漢方を処方してもらいにこのクリニックへ通いだして数か月。非日本語話者も安心して行ける婦人科として在日外国人に知られているらしく、毎回1人は外国人がスマホ片手に待合室にいる。ここもドラマがある空間だ。

 

黄金町に向かう大岡川沿いの暗がりでは、街角ごとに人影が立っている。冬場はスキニージーンズで、春から秋はミニスカートで、同じ顔触れが並ぶ。よく誰かと電話をしており、日本語ではない単語が漏れ聞こえる。

看板のない店舗の中では、歌謡曲のカラオケの大音量が響き渡る。女性禁制のピンク映画館に向かう男たち。女装した男性たちの野外会合。酒類提供禁止のご時世に湯吞みで酒を提供する料理屋。生活保護費受給日にはパチンコ屋の前に行列ができる。

ストリップ劇場、場外馬券売り場、ボートレース、パチンコ、ホストクラブ、あらゆるジャンルの風俗店・・・よくぞここまで集結した。飲む・打つ・買うがすべてそろっている。なんでもござれ。改めて、人間の業をまるごと肯定してくれるような街だなと思う。

なんでこの街に住み始めたんだっけ、なんでこの街を好きになったんだっけ。

 

私にこの街を教えてくれた師匠みたいな人がいた。このブログを始める少し前、その人は月に1度くらい横浜や神奈川県内を案内してくれた。その当時私は上野に住んでいて、ゆらり東海道線を揺られて横浜周辺に通った。数年かけて一緒に各所を歩いた。やがて季節をいくつも越えた。何十冊もの本と、何十作もの映画と、何十枚ものCDを共有した。2020年頭にその旅路は唐突に終わり、何の因果かその後私は横浜に越してきて、これから中長期的に住み着こうとしている。

 

酒場の「味珍」、「第一亭」、「山荘」、「クライスラー」、「キネマ」、中華街の「徳記」、「ウインドジャマー」、寿町の居酒屋「浜港」、石川町の喫茶店「モデル」、イセザキモール横浜橋商店街等、ぜんぶ彼が教えてくれた場所だ。今は1人でも行きつけるようになった。

「観光向けの店じゃないし、お嬢ちゃんには退屈かもしれないけれど」そう言いつつ、とっておきの良い店ばかり紹介してくれたことは今でも感謝している。

横浜を好きになったのは、その人が見つめる横浜の街が好きだったからなのかもしれない。もうその人とは会うことはできないけれど、いつか横浜の道端ですれ違わないかなぁ、とほんのちょっと願っている。あるいは上記の店のカウンターで。話したいことがたくさんあるんだ。無理かな。

 

大岡川の中べりで、水面に映ったラブホテルのネオンがきれいに見えるスポットを見つけました」

クライスラーで、はじめて一人でジュークボックスを動かしました」

「今年もイセザキモールにしめ縄が飾られました」

「『こんな繫華街、どんな人が住んでいるんだろう』と話していた街で暮らし始めました」

「私も立派なハマっこに育ち、観光スポットを案内できるくらいになりました。あなたのせいで黄金町や寿町が多いけれど」

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あの人の面影を忘れないために横浜に住んでいるのかもしれない。街や人から今も気配を感じる。それでも少しずつ忘れていってしまうのが寂しい。

お墓の場所は知らないので、心の中でセブン・スター(現在はメビウス)に火をつけて供える。酒場のカウンターで、ちびたグラスに注ぎ合う赤星が世界一美味しかった。

冬になるたび思い出す。毎年大晦日から元日は縁起の良い町名を歩き、「横浜は縁起の良い町名こそディープですよねぇ」と言いながら横浜橋商店街で買ったお惣菜をつまみに一杯やっていたことを。ある年の元旦は初日の出を見に行って、そのまま伊勢山で初詣もしたっけ。たまに彼が撮った写真を見返すんだけど、私はいつも楽しそうだし、笑っちゃうくらい飲んだくれている。

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港町って大好き。本来出会うはずのない人間たちが出会い、別れ、再開することができる場所だから。人間交差点。あるいは姿を変えて、別の身体、別の心を持って。影響を与え合い、遺し合う。バタフライエフェクト。横浜という街には、そういう魔力があるって信じている。

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年末。今年が急速に畳まれていく。否が応でも来た道を振り返ってしまう季節。宇多田ヒカルの「真夏の通り雨」を、雪がちらつく真冬に聴きながら、記憶の中の横浜で一人佇んでいる。よいお年をお迎えください。