目[mé]の《Life Scaper》を思い切って購入した話
でかい買い物をした。買うまでに、私にしては相当悩んだ。まる一日。
それに出会った時、値段も考えずに「これ欲しい」と思った。「生涯、生きていく道しるべが一つできるかもしれない」と直感した。お値段を聞いて躊躇した。年収の〇分の1、お家賃の〇か月分…!いやしかし、貯金でどうにかなるのでは。最悪分割で…。そうシミュレーションした時点で心は決まっているんだけど、理性がブレーキをかける。
「〇万円あれば他にもっと有効活用できるでしょ、旅行とか習い事とか。いったい現代アートが何の役に立つの?」と。
そう、現代アートを買ってしまいました。大好きなアーティストの、初めてのギャラリー販売作品を。たぶん、一生に一度の買い物。
そのアーティストの名前は「目[mé]」。少しでもアートに触れたことある人は名前くらい知っているでしょう。ここ数年精力的に活動しているし、注目度も高い現代アートチームです。2020東京オリンピックの関連文化プログラムで、代々木公園に巨大な顔を飛ばして多くの東京都民に衝撃を与え、SNSで「首吊り気球現る」とバズったことでも知られています。
私が買ってしまったアートに出会ったのは、「まさゆめ」の直前。目[mé]の新作個展「ただの世界」が上野のギャラリーで行われると知り、運よく予約できて訪れた時。
この展示は写真NGだし、文章で書いても大事なことは何も伝えられない(目の作品は大抵そうなので面白い)ので詳細は省く。行けた人は超ラッキー。友達になろう。
んで、私が購入したのはこの個展で発表された《Life Scaper》という作品です。
《Life Scaper》は、まず希望者に向けてヒアリング調査を実施し、その後、目[mé] と契約を交わすことによって所有できる作品です。所有者は、通勤途中や散歩している公園など人生のどこかで、いくつかの事例写真《Reference Scaper》が示すような、儚さや滑稽さ、美しさが伴う光景に遭遇する可能性を権利として得ます。しかし、この《Life Scaper》の実施やその実態は誰にも明かされることがないため、場合によっては所有者が気づかぬうちに実施されていることや、或いは真相自体が疑わしいままその権利を持つことになります。つまり所有者に、”Scaper”との遭遇への期待心と同時に、シュレディンガーの猫のような虚と実の両義性の中に身を置くことを余儀なくする作品です。
要するに、目[mé]が私の生活領域にいつの間にか侵入し、何かしでかしているかもしれないということだ。いつ行われるか、どこで行われるか、そもそも本当に行うのかは誰も分からない。
契約にあたりプロフィールとして、自宅住所、職場住所、普段立ち寄る場所や行きつけの店、詳細な行動パターン、性格的特性(物事の変化に気づきやすいタイプかどうかとか)、趣味、ありとあらゆる個人情報を何枚も提出する必要がある。目[mé]はそれを見て、作品を作るらしい。
「えっ、集団ストーカー?」
いやいやアートです。虚と実のあわいを楽しめる、心に余裕のある大人が自分の生活を差し出して事象に巻き込まれる高等遊戯。ええ、まともな社会人は巻き込まれたくないと思います。でも私は、目[mé]がこれまで作り出してきた作品が本当に大好きで、目[mé]の作品を鑑賞した日は魔法にかけられたようにすべてがきらめいて見えて、その力に何度も救われてきた。
初めて目[mé]を知ったのは2014年。宇都宮美術館で行われた「おじさんの顔が空に浮かぶ日」という作品を知り、なんじゃそりゃあと仰天した。栃木の街に浮かぶ知らないおじさん。シュールすぎた。マグリットの絵みたいだ。強烈にインパクトがあった。
その後、ちょいちょい各所で観るようになった。決定的だったのはさいたまトリエンナーレ2016の《Elemental Detection》。彼らはさいたまの岩槻の野原に、ガラスのような素材で架空の池を制作した。沼にしか見えず、でも足を踏み入れるとしっかりとした感触があって、まるで水上を歩いているみたいだった。なんじゃこりゃあと混乱した。
続いて、2016年に別府市役所で行われた「目 in Beppu」。彼らは別府市役所の窓の外に白く霧がかった世界を作り出し、庁舎内にもさまざまな仕掛けを施した。別府市民の、私たちの日常がゆっくり変容していく感覚。市庁舎に何気なく置いてある物体や市役所にいる全ての人に対し違和感を感じ始め、鑑賞が終わった後も作品が続いているかのような錯覚を覚えた。
そしてこの「違和感を作り出す」手法が極まったのが、2019年に千葉市美術館で行われた個展「非常にはっきりとわからない」。最高だった。内容ははろるどさんのブログ(下記リンク2つ目)で少し明かされているのでぜひ。マジではっきりとわからなかった。
この千葉市美術館の帰り道、千葉駅に向かう道中、目に映る光景すべてがアート空間に見えた。
「もしかして、道に落ちているあの赤い手袋、目[mé]の仕業では?」
「そこでタバコ休憩している作業員のおじさんたち、目[mé]の仕込みでは?」
「あのビルの看板、ネオン管が一部切れて変な感じになってるのは、目[mé]の作品?」
「千葉駅ナカで売ってるコッペパン、ピーナッツバターが売り切れていたのは目[mé]が買い占めたから?」
こんな感じで。気づくか気づかないかは、貴方次第と試されているように。
そして、コロナ禍にさきたま古墳で行われた「埼玉古墳群 抽象景色」。これも運よく予約できた。珍しく公式動画があって、全部写っている。行った人以外、実際には何が起きているか分からないけれど。
そして迎えたのが、2021年「ただの世界」。
目[mé]はこれまで作品を一般販売したことがなく(販売しようがないので)、これからもするかは分からない。最初で最後の機会かもしれない。
もう運命だなと。目[mé]の虜の一人である私が買わねば誰が買うんだ。
・・・いや、嘘です。カッコつけました。最初は日和りました。
購入にあたり、個人と団体が選べたので、何人か集めて買うあくどい方法を思いついたのだ。ま、団体と言っても普通は法人名義とかなんだろうけど、例えば10人で出資して買ったらどうなるのかなという興味もあったのです…。でも1日考えて、自力での購入に踏み切りました。やっぱ全部自分で身銭切って体験し尽くしたいじゃん。
決断してすぐにギャラリーにメールして購入意思を伝えた。んで諸々手続きしたり、振り込んだり(実行ボタン押すときはやっぱりちょっと躊躇したよ)して、作品が届きました。
上部で説明した通り、この額だけが作品ではないので、これからが本番です。私はこの瞬間からLife Scaperになりました。
これも面白いな~と思うんだけど、普通に社会人として生きていて、別の「役割」を持つことってほとんどないと思う。ある会社に勤めている会社員、どこどこ大学に通う大学生、どこかのサークルに入っている参加者とか、「所属」はあるけどさ。あと役職も別で。
結婚すれば「妻/夫」になったり、子どもを持てば「母親/父親」という役割になったりするけれど、「あぁ、自分は〇〇なんだなぁ(〇〇には任意の言葉を入れる)」と思うことってほとんどない。
でも私は、自分の意志でLife Scaperになることが出来た。日常に潜む瞬間を追いかけて、気づいて、つかまえていくのが私の役割だ。
あぁ、外出することがますます楽しくなる。だってこの瞬間にも目[mé]が何か仕掛けているかもしれなんだから。家に引きこもっていては気づけない。もしかしてあれは、あの時の出会いは、この巡り合わせは、ひょっとして…?
Life Scaperであることを、「目に映るすべてのことはメッセージ(by荒井由実)」状態と呼びたい。目を皿にして、鵜の目鷹の目で、良い目を狙っている。目[mé]だけにね。
ちなみに、あまりに疑心暗鬼になりすぎてギブしたくなったら途中解約することもできるらしい。今のところ大丈夫。むしろ良いことしかない。買ってよかったと思うし、人生変わったと思っている。
これまで頑なに作品を販売しなかった目[mé]がなんで今販売に踏み切ったのかは分からない。でも、コロナ禍でおうち時間が増えて外出が億劫になったアートファンへの、目[mé]からの挑戦/贈り物みたいなものかもしれない、とも考えた。
この作品に対して「…アートやるやる詐欺じゃない?お金だけ受け取って実際は何もしないのかもよ」という感想を持つ人もいるかもしれません。
そんな野暮なこと言いなさんな。購入者はその可能性も含めて納得して契約しているし、立派な額装作品が届いたし、作品は概念として成立しているからいいんですよ。私の払った代金が、彼らの次の作品制作に活かされていたらなおのこと嬉しい。アーティストの作品を直接買って応援できることが出来るなんてアートファン冥利に尽きる。
そんな彼らは今、十和田で新作展示をしているらしい。
万難排して今月観に行こうと思う。その隙に自宅周辺で何かが起こっていないことを祈るのみ。いやいや、もしかして、でもひょっとして?