3年ぶりに制限解除のゴールデンウイーク、金沢・富山・長野をハシゴしてみた
NHKによると何の制限もかかってない大型連休は3年ぶりだそうだ。新幹線指定席の予約は去年の3.8倍。体感としてもみんなお出かけしているみたい。何年も我慢を強いられて行けなかった場所、会えなかった人がいる。そりゃ出かけるだろう。誰だってそーする。私もそーする。
ま、出かけるにも理由はあるわけで。私の場合、ほとんどのモチベーションは美術館か遊郭跡巡り、もしくはストリップ遠征なわけで。今回は同地域に行きたい美術館が3館溜まっていたので、いよいよもって我慢の限界だった。
祝「ジョジョ展・金沢」2年越しの開催実現!!!
もはや説明の必要がない世界的名作「ジョジョの奇妙な冒険」の原画や新作大型絵画などがズラリと並ぶこちらの展覧会。巡回展となっていて、新国立美術館(2018年8月24日~10月1日)を皮切りに、これまで大阪文化館・天保山(2018年11月25日~2019年1月14日)、長崎県美術館(2020年1月25日~3月29日)で行われてきた。
私はものすごく熱心なジョジョファンというわけではなかったが、学生時代から単行本やジャンプ本誌を借りて授業中に読むなど連載をひと通り追いかけてはきていた。3~5部が特に好きで、7部も名作だと思う。近年、ルーヴル美術館での展示や岸辺露伴先生のドラマスピンオフなど新境地に挑戦しているのも好ましい。
そして2年越しの金沢。ここまで来たらもう意地だ。展示構成は大きく変わらず、でもこの2年間で8部が完結したのでその部分の原画が追加されていた。
会場は金沢21世紀美術館の市民ギャラリーA。企画展で使われている部屋ではなく貸出用の空間だ。東京に比べるとあまりに狭い。というか21美は展示空間としては致命的に動線がゴニョニョ…なので、その辺はぶっちゃけあまり期待せず。「ちゃんと金沢の巡回を見届ける」ことが目的でした。
「ジョジョ展行くんだ!」と周りに言うと「お前、前も行ってたろ…同じ展示を何回も観て楽しいの?」って思われがちなんですが、楽しーんだなこれが。
美術館の展示室ごとに展示環境が全く違う(面積、動線、天井高、照明や電源の位置とか)し、備品使いまわしというわけにはいかず、観ていると毎回何かしら新規で制作しているみたい。原画と原画の間の星型のシールとか、ちょっとしたキャプションとか、各会場限定原画の見せ方とか、創意工夫とジョジョ愛を感じられて面白いのです。なんてったってコロナ禍で延長したおかげで8部のラスボスの展示も増えたし。展示を実現してくれた関係者に感謝ですね。良いと感じた展示は全国巡回を追いかけたいね。
さ、打ち上げだー!地物が食べたかったのでこちらのカウンターで。お魚とれとれ、日本酒うまうまでとっても良かったのでまた行きたい…。
帰りに1軒バー寄ったけれど写真を撮り忘れたのでどこだったか…マティーニとギムレットで〆ました。うまかった。
翌朝はのんびり起きて、とりあえず尾山神社にお参り。旅先の氏神様への挨拶は欠かさないのがマイルール。はじめまして、お世話になります、来させてもらいありがとうございます、旅の中でもいいご縁がありますように、と。
金沢駅で8番らーめん食べて、お土産物色してお世話になっている方々への郵送手配して、ジャストタイムで新幹線。あまり物欲がないのでもともとあまりお土産って買わないタチで、せいぜい帰りの電車の酒と肴と水があればいいくらいだったんですが、最近はできるだけ人に買うようにしている。都内にいるあの人たちに各地の味を楽しんでもらえたら、私が旅先で楽しくやってることを想像して祝福してくれたら、食卓での話題がひとつ増えたとしたら、そんな幸せなことってないね。
金沢から富山へは新幹線であっという間だった。着いて、トラムに乗ってホテルに荷物を置きに行く。前に来たのは5年前。富山県美術館がオープンして、開館記念展を観に来たのだ。もう5年か。色々あった。あの時はトラムにも乗らず市内を徒歩で踏破した。
先日観た映画「ちょっと思い出しただけ」が心の片隅に残っていて、ふとした瞬間に記憶のレイヤーを行き来することがある。思い出深い土地には情念が宿る。あの頃の私は確かにここに居たのだ。誰も知らなくていい物語。
待ち合わせは居酒屋「どぶろく」。店内はCDやレコード、映画ポスターがたくさんで、趣味人であろう店長が素敵だった。何食べても美味しいし地酒もたくさん楽しめた。
待ち合わせの相手は、つくば時代に近所に住んでいて飲み友達だった「まーくん」とその奥様。まーくんとはもう10年以上の仲で、当時は仲間内で週3回くらい飲んでいた。彼は今年結婚しており、奥様と私は初対面だ。
私にとって彼は頼れるお兄ちゃんみたいなもんで、何でも相談していたしされていた。お互いにハナっから恋愛対象外だったこともあり、一度も色っぽい空気にならなかった。信頼できる男友達とは決して同衾しないのが私の数少ない美点だと誇っている。だってその方が長い人生かけて一緒に過ごせるんだもん。一度でも寝ちゃうとなかなかそうはいかない。(諸説あるが)
…ということを、開口一番に奥様に宣言。先方は当然折込済みだったようだが爆笑された。おかげで?彼女とはすっかり打ち解けて、今度は2人で飲みに行こう!とまで言ってくれて嬉しかったなぁ。好きな人の、好きな人と仲良くなるのが好きだ。
彼らは車だったので(まーくんが運転手、もちろんノンアル)真夜中になる前に解散。またすぐ飲もう!と奥様と熱い抱擁を交わし、ホテルに向かった。夜風が心地いい。いい夜だ。あんだけ日本酒を浴びたのに、最後に一人で〆たい気分だな。いいことがあった時はひとりバーカウンターで噛み締めるに限る。
ホテルの裏にあった「EDEN」というバーに寄ってみた。ネットには情報ないようですが、気のいい地元人が集まる大変治安のいい店でした。また行きたい。つくば時代によく飲んでいたメイカーズマークをロックで3杯飲んだ。
どこにだって行ける、いつだって行ける。行先も風任せ。何もしなくたっていい。自由なんて言葉で片付けたくないけれど、そういう心の有り様を思い出せるのが旅の醍醐味だ。気の向くまま盛り場を放浪して、たくさんの出会いと別れを繰り返せたらいい。花に嵐のたとえもあるさ、さよならだけが人生だ。
よく寝た。旅の最終日は富山のホテルで若干のけだるさ(二日酔いまでではない)から始めよう。洗面所の蛇口を捻って、グラスに水を並々入れて飲む。一気に2杯。水道の水が美味しい地域は素敵だ。
熱いシャワーを浴びて覚醒。今日は旅の仕上げ、富山県美術館と長野県立美術館に同日に行っちゃおうという趣向。あぁ本当、一人だからこそできる無茶なスケジュール。こんな旅がしたかったんだ、欲望に身を任せた行き当たりばったりワガママ旅。
とりあえず胃に何か入れよう、腹が減っては戦はできぬと近くのデパートのレストランフロアに入っていた老舗っぽい支那そば屋へ。
着丼。中華そばってこういうのがいいんだよ。透き通ってて、優しくて、香り高くて。何の気なしに入った割に好みすぎて驚いちゃった。富山ブラックなんぞより、こっちのが断然富山らしい気がする。
元気が出たので、バスに乗って富山県美術館へ。開館5周年記念展で蜷川実花の個展をやっていた。
蜷川実花は相変わらず蜷川実花だねという程度の感想しかなく、それこそ10年前にどこかで見た作品に再会して懐かしく思ったり。
全室撮影OKでSNS投稿推奨されていたが、思ったよりセルフィーする人が少なかった。東京都現代美術館でこないだやっていたユージーン・スタジオ展はほとんどの若者が写真撮っていたぞ。何でだろう。Z世代の感性ってやっぱり違う。
企画展はそこそこに、コレクション展を楽しむ。富山県美術館はなんといってもコレクションが素晴らしい。きちんと文脈をつくり、いい作家のいい作品をポイント抑えて見せていた。
ここで働く学芸員さんは楽しいだろうなぁ、といちおう近現代美術を専門にしていた私は羨む。自分だったらどんな切り口でコレクションを読み解こうかとしばし思案。
バスに乗って富山駅に戻る。次の新幹線の時間まで10分、駅ナカで開催されていた古本市を流す。軽く眺め見のつもりだったのに古い映画ポスターを販売する店舗に惹かれて1枚買い求めてしまった。だって好きな作品なんだもん…。
インテリアちょっぴりこだわって部屋の計画立てているのに、こういうアクの強いポスターが1枚あるだけでいっぺんに雰囲気変えるよね。うう、誰か連れ込んだ時にこじらせサブカル女(笑)だと思われてしまう。映画や美術はメインカルチャーだと断じて譲らないぞ。
仕方ないので物置兼趣味部屋として使っているサービスルームに貼るか。業務用ルームランナーとアカデミックとエロで固められた本棚のある部屋に。…なんだか、メインのダイニングルーム=ええかっこしいの外面、趣味部屋=真実の姿として分離してきており、連れ込む人がドン引かないかと懸念している。ま、いいか。
そんなこんなで長野。道中、富山駅で買った鱒寿司と白海老鮨を貪る。効率化のため、移動時間が食事時間です。むちゃむちゃ美味かった。
長野駅に着いて、本日ラストの霧の彫刻ショーの時間が迫っていたのでタクる。ギリギリ間に合い、本願をひとつ遂げた。
長野県立美術館、ちょっと前に結構頻繁に来ていたのでリニューアルした姿を拝めて本当に嬉しかった。きれいになったねぇ。
企画展はマン・レイだった。マン・レイ!高校生の時にちょっと良いなと思って写真集を眺めていたことを思い出す。その時々に付き合う女性がミューズとなるアーティストの1人。
東山魁夷館への渡り廊下が明るく開放的で良い。以前はあちら側へ行くモチベーションがあまり無かったので、リニューアルで格段に変わったね。
東山魁夷は、いわゆる彼っぽい作風の代表作も勿論良いんだけど、それよりはラフに旅先をスケッチしたものが好きだ。上手いなぁ…。構図にスキがないんだよなぁ。
館内ぐるぐる回り、17時の閉館が近づいてきたので退散。17時までに善光寺さんに入らなければ。
お久しぶりですとご挨拶。色々変わったけれど元気でやっています。これからも頑張ります。私に関わるすべての人が健康で幸せでありますようにと願掛けをした。
定番長野土産の唐辛子をまとめ買い。王道だけど、今年限定のご開帳デザインなのでちょっとレア。
ん、よし、帰ろう。バスで長野駅に向かい、じきに出発する新幹線を狙う。これを逃したら結構待つからね。旅の終わりは少し切ない。車内に乗り込み、自由席の空席を探す。さすが連休なので結構満席だった。お、あそこ空いてる。いいですか?ありがとうございますと座る。
窓際席には若い男性、通路側席には女性が座っていた。真ん中が開いていたので座らせてもらった。女性はスマホをいじっており、男性は単行本を読んでいた。
若いコが本読んでるっていいね。私は電車内で本読むのが好きなので余計にそう思うんだろうけど、今は老若男女問わずスマホにかかりきりなので活字を読む人が滅法少なくて世を憂いていたので余計心に留まった。お互い楽しい読書時間を、と思い私も本のページをめくる。今読んでいるのはアシュリー・ミアーズの「VIP―グローバル・パーティーサーキットの社会学」。
元モデルで社会学の教授の著書が、ニューヨークのナイト・クラブ界隈に潜入し、「モデルとボトル」ーきれいで若い女の子たちを囲み夜ごとシャンパンを空けまくる富裕層たちの生態と経済について解き明かした画期的な研究書だ。
非常にスリリングで面白いし、書籍代(約4000円)では決して体験できない現地の空気感やゴージャスな世界に触れられるのが魅力だ。なんか世の中不景気でクサクサしてるので、こういう時は海外の景気良い本を読むに限る。
にやにやしながらページを繰っていたら、窓際の男の子が声をかけてきた。
「それ、何読んでるんですか?」
本の内容をかいつまんで説明した。
「えぇ、すごい内容ですね。そんな本初めて知りました」
彼の読んでいる本のタイトルも教えてもらった。ユヴァル・ノア・ハラリの文庫本だった。
「あー、『サピエンス全史』の。それ読んでないなぁ、面白い?なら買おう。買った」とAmazonの注文画面を見せた。
「えぇ…社会人の経済力エグい」
「ふふ、大人になると好きなだけ本を買えるんだよ」
嘘です。月に5万円までと決めています。今の所たまにしか超えません。夢は三省堂書店で値段を見ずに好きなだけ本を買うことです。買ってないけど宝くじ当たらないかなぁ。
ともかく、話しかけてきた彼と少し会話をした。あれよあれよと彼の個人情報を抜き、〇〇県出身の19歳で〇応〇塾大学の新一年生で、〇〇駅に住んでいて彼女募集中というささやかなプロフィールをつかんだ。
「あんまり東京とか横浜知らない?案内しようか、ついでに美学と美術史なら少しくらい話せるよ」と甘言を弄し、次のアポイントまで取り付けた。
私は年下は守備範囲外だけど、酒の飲み方をOJTして若者の青春を応援することくらいはできる。私がかつて諸先輩方からさんざん受けてきたように。見どころのある青年がさらにちょっと洗練されて、少し違った未来を選ぶ後押しができたらいいなと思った。これは年長者のエゴだ。今のところ子を設ける予定もない私に、人類のためにできることはこのくらいしかない。
大宮、上野、東京。隣り合った人との話が弾むと新幹線の車内の時間は短く感じる。じゃあね、またねと別れ、私は横浜に帰る。
「変な出会いだったなぁ、でもちょっと楽しかったなぁ、尾山神社の采配かな?」とこの些細な出来事と旅の結末を誰かに伝えたいと思った。
私が好きな人たちはきっと、ちょっと面白がって聞いてくれるだろう。あぁ、あいつまたバカやってる。でも旅に出ないとそんな経験できないよね、って言ってくれるはずだ。
旅って何だろう。何のためにしているんだろう。そんなこと分かっていたらしないんだろうけど、分からないから何度も世界に足を向けてきた。でもそれもいつか終わる。でも何度も繰り返して始めてきた。
コロナ禍で移動と交流が制限されていたけれど、それが解除された瞬間人々は旅に出た。結局、人間と旅の関係性はその結果論に尽きるのかもしれない。
「家に居続けられないから、旅に出るのさ」
他者や異質なものとの接触があるからこそ自分自身を初めて認識することができる。氷を触って初めて、自分に体温があると実感できるように。他人の身体に触れて自分の輪郭を意識するように。旅なんてのはそんなもんだ。私たちは結局、家に帰るために、わざわざ遠回りをしているだけなのかもしれないね。
人が旅をするのは到着するためではなく、旅をするためである – ゲーテ
旅はどんなに私に生々としたもの、新しいもの、自由なもの、まことなものを与えたであろうか。旅に出さえすると私はいつも本当の私となった – 田山花袋
「そのうち」なんて当てにならないな。今がその時さ。- スナフキン
1人旅をしているときには、好きな人のことや、残してきた人達のことばかり不思議に思い出すものだ – リチャード・ホームズ