東京国立近代美術館「大竹伸朗展」に行く
好きな作家は数多くあれど、「個展やるって」と聞いたら居ても立っても居られなくなってしまい、口からヨダレを垂らして駆けつけるくらい惚れている現役のアーティストはそんなに多くない。
そのひとりが、大竹伸朗。コロナ前にやった個展は、熊本市現代美術館と水戸芸術館に観に行った。今、満を持して東京国立近代美術館で個展が開催されている。願わくばもうちょっと天井高いところでもやってほしいけど、国立館で大竹伸朗ってだけで感激なのであーる。
15年以上ミュージアムめぐりをライフワークとしてきて、10代のころは「一期一会!」の気持ちで展示を観てきたけれど、最近は昔観た作品と再会して「お、久々だねぇ」という機会も増えてきた。作家の回顧展で「没後〇年」「生誕〇年」も、10年経つともっかいできますしね。何回観ても良いものは良いし、昔観た時の気持ちを思い出すことができる。同窓会みたいな気分です。
最初期の作品から近年の海外発表作、コロナ禍に制作された最新作まで、およそ500点の作品が一堂に会している。小さな手製本から巨大な小屋型のインスタレーション、作品が発する音など、ものと音が空間を埋め尽くす。展示は、7つのテーマ「自/他」「記憶」「時間」「移行」「夢/網膜」「層」「音」に基づいて構成。時系列はバラバラ。テーマの振り分け、鬼のように大変だったろうな。
2時間かけて企画展終えて、コレクション展に移動。そっちでも大竹伸朗コーナーがあるらしいと聞いて。するとなんか廊下まで響く轟音が鳴っている。なにかと思ったら。
SNSにもそんな情報なかったのであんぐり。たまにゲリラパフォーマンスするんでしょうか。神よありがとう。
ミュージアムショップも盛況でした。昔買った手ぬぐいとカバンは取り扱ってなかった。廃盤になったのだろーか。
いざ展示の感想を書こうとしたら言葉が出てこないな。全部陳腐になってしまう。身体感覚で楽しんだからなのかな。大竹伸朗はあらゆる素材、あらゆるイメージ、あらゆる方法を使って、言葉が入り込む余地のない画面をつくる。ひとりの人間が本当にこれを作ったのだろうか?というくらい、濃密でバリエーション豊富な作品群。圧倒的にかっこいい。痺れた。何よりも嬉しいのは、これからもまだまだ新作が生まれること。もし私が億万長者になったら、大竹伸朗美術館をどっか山奥か島につくりたい。巨大な館を。常設で観る場所がほしいなぁと切に願う。